善意が重く感じた話
以前、実家にひとり暮らししていた頃、夏になるとうちの庭は伸び放題の雑草で、まさに草ボーボーだった。
私はどうやらいろいろズボラらしく、そういうこの気づかない。
本当に目に入らないし、目に入ったとしても次の瞬間には忘れてしまっている。
例えば伸びた草が隣家に入り込んだりするのはさすがによくないので、そうならないようにしないといけないとは思うのだが、伸びたとて、そんな問題は起こらない環境だった。
まず、左右の家との間には雑草では超えられないブロック塀がある。
そして塀のない裏手は空き地になっていて、我が家の庭とは別種類の雑草が私の身長より高く伸びた頃に、草刈り機で年1度きれいに刈られるのだ。
むしろ入りこまれている。
きちんとした人にはお説教されそうだが、そんな状態なので、私は気にしなかったし、気にする必要もないと思っていた。
だが、叔母はそうではなかったらしい。
いつからか、
「人の土地に草が入ったらダメでしょ」
と言って、軽トラに草刈り機を積んで来て、我が家の庭をきれいにするようになった。
いつ行くとか、そういう連絡はなく、ある日突然来て草を刈っていた。
叔母は善意で、本当はやらなくてもいい姪の家の草を刈ってくれる。
私がちゃんとしていればやらなくていい作業。
申し訳なく思うとか、感謝するとか、自分でちゃんとやるようになるとか。
それが本来私が取るべき行動だと思う。
だが、私はしんどかった。
申し訳ないが、苦痛だった。
私は問題ないと思っていることを、問題あると責められているような気持ちになった。
自宅という自分のテリトリー内に、入ってこられる嫌な感覚もあった。
叔母の行為に対してしんどいと思う気持ちと、それをしんどいと感じる自分への罪悪感や責める気持ちで、二重に重かった。
でも、善意で余計な世話をかけている私は、そんなことを思ってはいけないと思った。
できるだけその気持ちに蓋をした。
環境が変わって、草刈り機の侵入がなくなった今も、あのときの重い気持ちは心の中に残っている。
人の世話をやける叔母派素晴らしいだろう。
ちゃんとしていなくて、手間をかける私はダメたろう。
でも、ダメたとしても、あの時間は私にはしんどかったし、人からダメ出しされる雑草だらけの庭で、あの時の私にはまったく問題はなかった。
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