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ねそべる

原っぱ、広い体育館やスキー場、銀座の歩行者天国など、都市の生活ではあまり味わえない視界の開けた場所に出た時、何をしたくなるだろう。

走りたいという人がいれば側転したいという人がいた。確かに普段の狭い場所ではそう大きく体を動かすことはできないし、子どもの頃にどこでも走り回っていたその時の高揚感や清々しさを味わえそうでいいなと、人の話を聴きながら思っていた。
でも、自分がするとしたら何か違うことのような気がしたのでモヤモヤ考えていた。
 
そして最近やっと言葉になったのは「寝そべる」だった。
寝そべるのはいい。大地を身体で感じられるし、目の前の空間がさらに広がって感じられるし、身体を完全に脱力していられる。なにより、静かで穏やかで満ちた心になれるのがよい。

なぜ広いところで寝そべるんだろう、と似たような経験を思い起こしてみたらいろいろあることに気づいた。

プールの底に沈んで、揺れる水面を下から眺めたり、そこから反対側にある壁を見てそこまでにある水量を感じたり
バスケの練習後に座り込んでストレッチしながら、さっきまで走り回っていた体育館の体積を感じたり
スキー場のコース端で寝そべって、高い空や落ちてくる雪を眺めたり
深夜の車通りが無い十字路の中心で座り込み、遠くの街の音を聴いたり(危ない) 

そしてそれらを思い起こすたびに同じ穏やかな感情になる。これはとても幸せなので忘れずにいたい。(この前は川内倫子さんのM/Eの展示を見ている時にもそうなった。それ以来、世界のどこかで人知れず静かに存在してそうな写真が好きなのかもしれないと思っている。サムネのは夜明けに高速を走る車に乗りながら照明を撮ったものだけど、夜明けのぼやけた青に街灯の橙が効いていて、それらが車のガラスを通してボケているのが好き)

お気に入りの感情が言語化できた気がして嬉しいので残しておく。

友人たちは何をして、どんな感情になるのだろう。今度尋ねてみようと思う。

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