クリープハイプは夜の匂い

 クリープハイプは夜の匂いがする。

 なんてクサイことを言ってみたものの、別に本当に曲やCDから夜の匂いがするわけじゃない。でも、クリープハイプの曲からは夜の匂いがする。

 それは一人ぼっちの夜だったり、誰かと背中をくっつけて眠る夜だったり、男を相手に仕事をする夜だったり、一つの形に留まらない。私にとってクリープハイプは、シーツであり、枕であり、布団であり、毛布であり、隣に眠る男だったりする。つまり、私が愛したもののすべてがクリープハイプに詰まっている。

 

いつまでもこんな所に居ちゃいけないのは分かってるんだけど

 『欠伸』の歌詞を頭の中でなぞりながら、ひたすらタイマーが鳴るのを待つ、四年前の三月の夜。その頃の私は『欠伸』の語り手のような仕事に就いていた。別にその仕事がやりたかったわけではない。ただお金がなかっただけ。当時私が付き合っていたのは、クリープハイプの歌によく出てくるタイプの男だった、と言えばだいたい想像はつくと思う。バンドマンとは違うけれど、要するにヒモのような男。
 この男が私とクリープハイプと夜を深く結びつけることになるのだけれど、それはまた後で語るとする。
 彼がお金がないと言うから、私が「そういう仕事」をやってお金を渡していた。(つまりは私もアホだった)
 客に笑顔を振り撒き、ちょっとエッチなサービスをして、精神をすり減らした対価としてお金をもらう。RPGでいう「どく」の状態がいつまでも続いて、HPだけはゴリゴリ削られている感覚。ろくでもない夜に沈んでいくような毎日。

 さよなら ばいばい じゃあね またね
 結局ここには何も無いけれど
 ばいばい じゃあね またね
 良かったら股ここに遊びに来てね

 まあ正直「二度と来んな」と言いたくなるような客も多かったけど。
 私を救うわけじゃない。でも、『欠伸』を聴いていたら、クリープハイプがろくでもない夜に一緒に沈んでくれるような気がした。

 結局その仕事は三ヶ月でやめた。だっていつまでもこんな所に居ちゃいけないのはわかってたから。
 (カッコつけて言っているけれど、実際は彼にバレただけである)

君の部屋


 ネイビーの生地に小さな星。それが私の部屋のカーテンの柄だった。
「そういう仕事」をやめて1ヶ月、私は例の彼と駆け落ちして神奈川にいた。家賃3万、風呂トイレ洗面一緒くた、死ぬほど暑いロフト付きの狭い狭いアパートを私名義で借りて生活していた。
 駆け落ちなんてアホなことをしたもんだから、各方面から責められ諭され、また別の意味で「どく」の状態になってHPが削られていく。結局どこに行ったって何も変わりはしないんだな、と悟った。
 彼は相変わらず貧乏だったし、仕事もなかったし、何をしているのかわからないが一日中家にいた。私が仕事をして帰ると、何をしているでもない彼が部屋そんな生活に恋とか愛とかを見出すことは出来なくて、私と彼は喧嘩ばかりしていた。
 バカ、アホ、クソ。何にもわかってない。働けカス。いつもごめんねってなんで言えないの。
 まあなんとも醜く罵り合った。さっきはごめんね、いつもありがとうね。それが言えれば良かったのだけれど、変なところで似たもの同士で頑固だった。
 私の仕事が夜勤だったから、帰ってくるのはいつも深夜。そこから喧嘩するもんたから、ド深夜に家を飛び出すなんてこともしょっちゅうだった。
 遠くのコンビニの明かりと、鈍く点滅する街灯を睨みつけながら呪いのように『君の部屋』をループさせていた。

 僕の喜びの8割以上は僕の悲しみの8割以上は僕の苦しみの8割以上は
 やっぱりあなたで出来てた

 絶対にいつか別れる。でもその時、この歌詞のように忘れられなくさせてやる。カーテンの柄も、絶対忘れさせてやらない。
 そう思いながら夜の道を歩いた。私はアホでバカでクズで、どうしようもなく彼が好きだったのだ。

愛の標識


 子供が生まれた。言うまでもなく彼との子。別れる別れるって言ってたくせになんでやねん、と読者の方は思うでしょう。答えは簡単、私がとんでもないアホだったから。
 
 子供ができたら変わると思っていた。でも変わらなかった。というより、私が彼に甘えすぎていた。彼は彼なりに精一杯変わろうとしていたのだ、と今ならわかる。今更わかっても遅いけれど。

 結婚してすぐに離婚した。私は荷物をまとめて子供を連れて、実家に帰ることになった。皮肉なことに、喧嘩ばかりだった私たちは別れることを決めてから驚くほど仲が良くなった。もう終わりだと割り切ったからだろうか。

 私は彼を2DKの部屋に一人置いていくことになった。一人で住むには広すぎる部屋に、ひとり。
 私は冷たい人間だから、別れることに対して悲しみも何もなかった。むしろようやく離れられるとせいせいしていた。

 でも、この思い出ばかり溢れる広すぎる部屋に、一人取り残される彼を思うとなぜか涙が出た。この人きっといろんなもの見て泣くんだろうなあ。可哀想に。そんなことを冷静に思っていた。冷静に思っていたのに、なぜか涙が出た。

 一段低いところに置き換えたシャワーが
 たまらなくこの上なく愛しかったよ
 簡単に水に流せない思い出

 きっとシャワーを見ても泣くんだろうな、と思ったから、私はシャワーを高いところに置き換えて家を出た。新幹線に乗り、どんどん夜は更け、同時にどんどん思い出が遠ざかって、涙が滲んだ。目が腫れてぶさいくな顔が、暗い窓に映った。

 死ぬまで一生愛されてると思ってたし、一生愛したいと思っていた。本当に。別れたいとか言いながらも、ずっと。

 いまだに私は「愛の標識」を聴くとぼろぼろ泣いてしまう。3月26日の大阪城ホールでのライブで、「死ぬまで一生愛されてると思ってていいですか」なんて尾崎さんは訊いてたけど、

 死ぬまで一生、なんてどこにも存在しないことなんてきっと尾崎さんが一番わかってるから、こういう歌詞を書いたんじゃないのかな。

だからそれは、

 だから今日も私は眠れない夜、イヤホンを耳に突っ込んでクリープハイプを聞く。そして彼を、彼と過ごした日々を、歌詞と共になぞりながら夜にしがみついて朝で溶かすのだ。クリープハイプは夜の匂い。ずっと夜のままでいたいと思う、愛しい匂い。
 
 今書いてきたこれは、クリープハイプへのラブレターであり、文中に何度も登場した彼へのラブレターでもある。読んでるか、貴大くんよ。まあ読んでないだろうけど。別に読まなくてもいいけど。
 記事のテーマが「だからそれはクリープハイプ」なので、「真実」になぞらえて文章を締めようと思う。

 死ぬまで一生、クリープハイプも彼も愛してるよ。

 これが、私の真実。絶対に黙っておくけど。


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