見出し画像

「明らかにする」ということは、「月明かりの下で見る」ということ

「明」というと、「日」と「月」でキラキラと強い光をイメージしますよね。
でも、「明」という字の左の「日」は元々は「窓」を表していて、そこに月明かりが差し込んでくるという図柄だったようです。

喜多川泰さんの「よくがんばりました。」は
月明かりのような優しい光で、他人だけでなく自分のことも見ていきたい」という教訓をくれました。


明らかにするっていうのは、強い光を当てて、子どものアラを白日の下に晒すという意味ではない。月明かりの下で見るように、その子の美しさを全体として捉えること。子どもたちのことは、そうやって見てあげなさい。・・・ 先生と言う職業の人は、どうしても、子供に強く光を当てて、ちょっとした欠点を見つけては正すのが自分の仕事だって思っていることが多いのね。・・・ あの生徒のやったことを明らかにすることも大事なのかもしれないけど、その前に、全体としての美しさを見るのが先生の仕事だって・・・

「よくがんばりました。」から引用


強い光を当てて、全てを明らかにすることが良いのではなく、月明かりで見える姿のように、ぼんやりとした美しさが良いのだと。
言い得て妙ですね。

私は教師ではありませんが、白黒はっきりさせることが良いことだと思っていました。
そのため、完璧主義でした。
自分はもちろん、他人にも完璧を求める傾向がありました。
でも、完璧であることは、ある意味、美しくない。

全体として良ければ、それでよし。
今年は、何事にも柔らかな考えで 行こうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?