復興チャリティイベント「すきだっちゃ南三陸」で、南三陸のががさんの語り部を聞きました。
全學寺の住職さんとご縁があって、足立区古千谷本町にある「全學寺 」の本堂で開催された南三陸の復興チャリティイベント「すきだっちゃ南三陸」に呼んでもらいました。
住職さんといってもお若いです。(↓ご家族写真)
下のママと子どもの写真は、マラカスという楽器を作るワークショップです。
シャボン玉踊りや写真展(南大陸の震災から復興の様子)、無料のお昼ごはん、手作りのパン(メチャ美味しかった)など、たくさんのイベントが開催されてました。
私は、南大陸のががさんの「語り部」を聞きにきて、ゼンガクジのフリーコーヒースタンドで、その場で豆を挽いたコーヒーを頂きました。
とっても可愛い女性だったので、一緒に写真を!
後のわたし、保護者のようですが・・・(笑)
さて、一番お伝えしたい話題に入ります。
まず、文面の中で「ががさん」って何回もでてきますが、お名前ではないですよ。
「がが」というのは、南三陸をはじめとした宮城県の方言で「母親」という意味だそうです。
そう、2011年3月11日に発生した東日本大震災。
その南三陸町で、小さい子どもを育てているお母さんの、震災体験とあの日から今日までの想いを聞いてきました。
震災から今年で約9年が経ち、ようやく話ができるようになったと言われていました。涙を流さずに話せるようになるのに必要な年数だったと。
2011年3月11日、その日起きたことを詳細に教えてくれました。
電気が復旧するのに2ヶ月かかり、水(水道)に関しては4ヶ月かかったそうです。正直、今、何不自由なく電気や水を使っている身としては実感はわきませんが、今の状態に感謝しようと思いました。
避難所の体育館でのこと、食料のこと、子ども達にかかる精神的なストレスのケアなど、本当にたくさんのことを抱えて乗り越えてこられた話を聞きました。
そして今回、このNOTEブログにて、一番伝えたかったのは、ががさんが、震災にあって気づいたという「一番大事なもの」という話でした。
一番大事なもの!
それは「代わりがきかないもの」です。
そう、代わりがないのです。
どんなに高価なものでも、代わりはあります。
仮になければ、お金を積んで、同じものを作る、という事もできます。
このががさんの「代わりのきかないもの」は子どもの母子手帳でした。
特に、このががさんは「母子手帳」に色んな記録や日記なども書いていて、お子さんとの思い出がぎっしり詰まった、彼女にとっては唯一無二のものなのです。
この話を聞いてる時点で、同じ母親としては、涙腺がおかしくなってきましたが、なんとその後の話が・・・。
震災後、このががさんは、崩壊したアパートに何度も行って、母子手帳を探したそうです。結局、見つからず、ががさんのご実家に避難していたある日、郵便物が届いたのです。
しかも、宛先はお子さんの名前で。
あんなに探していた母子手帳が、その後、住んでいたアパートからは、かなりの距離がある地域の実家に届いたのです。
ががさんは「奇跡が起きた」と思ったそうです。
そして「自分達は生かされている」と。
震災から9年、神戸の震災は元の状態に戻るのに5年かかり、神戸より広範囲の震災地である東北は10年かかると、ががさんは言っていました。
そしてこの震災で失ったものは多いけど、彼女にとって「代わりのないもの」である母子手帳が戻り、家族のきずなが以前より確実に深まっていると話してくれました。
自分にとって「代わりのないもの!」
それを考えさせられました。
人によってそれは違うけど、共通して言えるのは「思い出」ですよね。
大事な人との思い出、幸せな時間を共有した、その思い出のものは、何ものにも変えられません。
あなたにとって「代わりのないもの」は何ですか?
そして今回、この南三陸の復興チャリティイベント「すきだっちゃ南三陸」に呼んでくれた全學寺の住職さんに、改めてお礼を言いたいですね。
ありがとうございます。
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