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教えること


私は体育教師を目指す春から3年になる大学生で練習も兼ねてキッズコーチのバイトをしている。2つ掛け持ちで全員合わせて60人程だろうか、いやー名前を覚えるのに相当苦労した…名前をガムテープに書いて貼って写真を撮らせてもらって大学に通う電車の中で必死にフォルダにある写真たちとにらめっこした。そんな教え子達は下は年中、上は小6とまぁ割と幅広い。正直以前は子供なんて追っ払いたくなるほど嫌いであったが今は大好きとは言いきれないがかわいいなと思える存在にまで成長した。

大学生って人生の中で1番自分の成長を自分で理解できる時間なんじゃないかと思う。高校で部活をしている時なんて後輩に教えるのは当たり前だという義務感に近いもので動いていたものが今では臨機応変に動くという力となっていたり…気づけば成長していたのだなぁと今になって思うことが多い。だからノートを始めてみた。今の自分が学んだことを記録に残したいと思った。紙で書くと三日坊主が2日目ほどで発動するためnoteはわたしに最適なツールであった笑笑

文章構成には自信がない。徒然なるままに書いてるだけある…

そして今日は東日本大震災から丸10年。当時のわたしは小学4年生。学校で被災し、恐怖で体が震えてしまう友達に洋服を貸してあげたりなんかしてたっけ。お母さんに迎えにきてもらい、真っ暗な家、余震で揺れる向かいのマンション、腰を抜かしてしまう我が家の猫、ラジオから聞こえる音。そんなイレギュラーな生活に対応できず体調を崩していた。そんな中東北では津波が襲い人々の日常を意図も簡単に飲み込み拐っていたのだ。大学の友達に東北の子がいる。時々聞く当時の話。聞いていいものなのかと毎回躊躇う気持ちが引っかかるが友達は話してくれる。ありがとう。


想像を絶するニュースでは聞けないような生々しい話に顔が歪む。当たり前の日常ってないんだなと思う瞬間である。

10年の月日が経ってわたしも成人し大人の仲間入りとやらをしたことになった。だがわたしの教え子たちは今日なぜ黙祷というお祈りを捧げるのか、なぜ好きなアニメ番組が特番になってなくなっているのかなんてことは分からないのだ。なんせ生まれてない子どもすらいる。

いちアルバイトなんだからダンスだけ教えてればいいと言われればそうかもしれない。でも今日という日はしっかりこれから生きていく上で心に刻まなければならないと、得た知識たちを教えていくべきだと思うのだ。挨拶のできる子になってほしい。整理整頓ができる子になってほしい。(己はできていないがそこは自分に甘くあれということで。←やれ)感謝を伝えられる子になってほしい。なんて思いながら教えている教室。でも今日は大切な日なんだよ、と優しく伝えたい。

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