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はじめに

 物書きを夢見たのは遠い昔。物語を書き散らしたのも、今となっては懐かしい。知らず知らずの間にも、ぼくらは年を重ねてしまった。

 思い返せば、ぼくは熱心な文芸者でなかった。同好会を作ったはいいが、勉強やらなにやらにかまけ、ことばに心を尽くさなかった。なにより、ある程度の分量を書ききった例がなかった。ぼくは、自分が作家に向いていないことをよく知っていたし、父親もぼくの文才のなさに感づいていたらしい。出雲などに旅行に行った際には、夕食の席で「先生になるのはいいが、小説家という意味の先生にはなるな」と釘を刺されたものだった。そのころ、ぼくは大学生になっていたはずで、研究の面白さに惹かれつつある時分だったように記憶しているから、作家なんぞこちらから願い下げであった。その気持ちは今でも決して変わらない。

 だが、物語を紡ぐことには依然として興味がある。思えば、昔から小説ではなく、物語を書きたいと思っていた。小説などという崇高なものではなく、物語という慰み物を志向していたのである。

 物語とは他愛無い話を言う。日本文学においては有名すぎる指摘であるが、当時のぼくがそのような言に触れているはずもなく、いかにしてこのような発想に至ったのかはわからない。凡そ、物語は児童向けで、小説は大人向けというような印象を、学校教育を通じて獲得していただけであろう。ともかく、ぼくは物語に対して、何らかの好感を持っていたらしい。

 物語への憧憬は失われていない。それどころか、ますます増大しているようである。事実、ぼくの専攻は物語文学であるし、いまもこうして物語を書いている。もちろん、かつて書きたかった物語と、現在のぼくが想起し、書き連ねている物語とは、ある程度違っているようである。それでも、ぼくの過去と現在、そしてもしかすると未来までもを〈物語〉というシニフィアンが繋いでいる。確かに、ぼくの人生の各地点において、〈物語〉のシニフィエは微妙かつ絶妙に変化し続けているが、それは健全に横滑りしているだけであって、そうした〈物語〉の漂流こそが、ぼくの生命に煌めきを与えてくれている。

 ぼくは、その儚い光芒を残したく思った。ぼく自身のために、である。ぼくは昔から集めることが好きで、いまでなお、小学生のころに書いたノートを置いてるし、中学生のころに執筆した各種の原稿を溜めている。無論、その最中にあって、散逸してしまった物語も少なくはない。記憶からすら失われたモノもあるだろう。仕方がないとも思うのだが、それでも、できるだけ留めたいと思った。

 このnoteに書き連ねる物語は、どうも他愛のないモノばかりになりそうである。だが、それでよい。物語とはそのようなものであるし、なにより、ぼくはそうした取り留めもないモノをこそ、残したく思ったのであるから。



 なお、画像は、三谷邦明『物語文学の方法Ⅰ』(有精堂 一九八九年)の表紙より引用させていただきました。

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