占いとの出会い
占いーーーという一つのツール、技術、哲学、思想、学問、研究などと、どのように呼び、どのように使うかは占い手の意思に委ねられるがーーーを用いるようになったのごく自然のことだった。
僕が行っている占いは3種類ある。
一つは西洋占星術。
二つ目は握手占い。
三つ目はタロット占い。
一つ目の西洋占星術は、全体の流れ、集合意識、その人が生まれ持った素質を明らかにしていくために、星を手掛かりにして、その関係性や配置から読み解いていく手法。
全体の運気や、世の中的な傾向など、大枠を捉えることができる一方で、個人に焦点を当ててゆけば、その人の持つ性格、特性などが明らかとなり、それぞれの”取扱説明書”のようなものとなりうる。
ただし、本格的に読み解いてゆくには膨大な知識量と経験値が必要(と思っている)。
もし本当に全てを理解してしまったとしたら、人間活動に関わるあらゆることを掌握できそうな理論体系を持った技術ではないかと直観している。
けれども、星だけに囚われてゆくと、人間もしくは魂と呼べる生けるものをどこか遠くの方に置き去りにしてしまうような気がしていて、占いの本質から遠ざかってゆくこともあるのでは?という一つの疑念も抱いているため、僕は、西洋占星術に限らず次の二つの手法を僕は用いている。
その二つ目にあたるのは握手占い。
とてもパーソナルなもの。
これは神様(がいるのならば)から受け取ったギフト。
握った時に感じる波動を読んで、その人の感じているものと一体になるということ。
西洋占星術の客観的視点から見ていくものとは違う、肉体という境界を超えて、あなた自身と繋がっていくもの
握手をした時に感じたもの---手の質感、ゆらぎ、力、熱量、それは様々---をしっくりくる言葉に置き換えて、その人となりや、悩みについて探っていくオリジナルな手法。
具体的なことを当てられるわけではないが、その人の持つ本質、根幹、核に近づくことができて、深い部分で繋がりを感じる。
人によって視える人もいるが、僕は感じるタイプの人間だ。
三つ目はタロット占い。
これは先の二つの占いが全体(西洋占星術)と個人(握手占い)という距離感の離れたものとした時に、その合間を埋めるような占いであると思っている。
僕が握手占いで感じる、とても個人的な感覚と、その相手が感じていること、経験していることには大きな隔たりが、確実に存在している。
その隔たりを超えて、埋めていくには、言葉に置き換えてゆくことが必要だ。
その言葉を使用するにあたっては、お互いその使用している言葉を理解し、共通の認識を持った上でのコミュニケーションが前提とされている。
言い換えれば、言葉を知っていないと、コミュニケーションは成立しにくいのである。
一方でカードという言葉の代わりになるイメージを用いるとより言葉を知らなかったとしても理解は進みやすくなる。
カードに描かれた色彩が持つイメージや、図象が意図するものは人の感情や意識に、言葉よりも近しい存在として結びついている。
よりわかりやすくなるのだ。
だから曖昧な言葉だけでは伝わりきらないことをカードのイメージを通して伝えてゆけるので、この手法を用いている。
タロットは一つ目の西洋占星術の意味や理論を含んでいたり、二つ目の握手占いのような、その人の持つエネルギーをカードに媒介させるものでもあったりするため、占いとしてもちょうど中間的な立ち位置と僕は見ている。
これら3つを適宜組み合わせてその人に合わせて、ブレンドしながら、時と場合によって占いを行なっている。
元々オカルティックなもの、スピリチュアルなものに、昔から興味があった。
今この肉体で感じ取れない世界、見えないもの、分からないものが本やマンガの中に描かれていた。
怪談や伝説の類である。
そういったものにときめき、憧れを抱いていた少年時代を過ごしていた。
どこかで今ここだけではない世界が必ずあるということを信じて疑っていなかったのだ。
そんな中、ふと占いというひとつの手法、ひいては思想に魅せられたのは18歳の頃、上京したての頃である。
一人寂しく、慣れない都会で奮闘していた時。
なんとなくよりどころにしていたのが、占いだった。
僕自身は天秤座である。
なんとなく自分が10月に生まれ天秤座であるということはそこまで意識していなかった。
当初、占いなんてものは、学生の頃、朝7;58ごろに流れていた、ニュースの繋ぎ2分の星座占いをなんとなく気にしていたくらい。
昨日より、順位が良ければ少しテンション上がったり、最下位だったらそんな占いなんて当たるわけない、と無かったことにしてしまうような、よくある態度だ。
小学校から高校くらいまでは、朝の通学時間にほとんど変化がなかったから、モーニングルーティーンとしてその占いをチェックするのが日課になっていた。
それがいつしか、大学生となり、上京し、一人暮らしを始めると、生活は変わった。
これまでの地元でのルーティーンは消え、テレビも見なくなった。
自然と7:58ごろの星座占いを気にすることもなくなってしまった。
僕の生活の中から、「今日の天秤座は---」というフレーズが消えていってしまった。
一人暮らしも慣れないような、慣れたような夏を迎えた時、駅前の書店で平積みされていた天秤座の本が目に止まった。
それまで学校に行く支度で慌ただしい朝の中で、順位だけを気にしていたようなものとは全くもってかけ離れていた。
なんでこんなにも自分のことを言い当てられるのだろうかと。
不思議で仕方なかった。
寂しかったのもあったのだろうけれど、なんだか僕のことを理解してくれているような気がして、とても安心した記憶を今でも覚えている。
それが、僕の占いとの出会い。
こっそりと、自分だけのお守りのような存在として、ひそやかに自分のことを理解するためにも占いと戯れていた。
それがいつかしか10年くらい経ち、今この激動の時代の中で、本格的に占いというものに手を染め始めた。
幸いにも、僕には何かを感じ取る力が長けているようで、それを人に役立てたいという使命感と合致したのだ。
ありがとう占い。
僕は占いをポップな立ち位置で、僕とおんなじように、自分自身のことを理解してくれるよりどころ、となるように、誰かの役に立っていきたいと思っている。
興味のある方は、お気軽にお問い合わせください。
ご連絡はインスタグラムにて。
2020.07.03 青日タロウ
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