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読書にまつわる後悔


私は小さい頃から読書が苦手だった。幾度となく大人から本を読め、と言われていたが、時間がもったいないと思い、読んでこなかった。さらに、自分で考えることが苦手だった私は、何を読めばいいかもわからなかったのだ。

なぜそんな性格になったのだろうか。自分の幼少期を振り返ると、いつも親から『早くしなさい』と言われていた気がする。早くすることがいいことなんだ、時間をたっぷり使うのはダメなことなんだ。そんな風に感じていたのだろう。そして、第2子あるあるだが、長子の失敗を見て学び、大人がいう通りのことをしていれば褒められた。効率がよい、と子どもながらに思ったのだろう。一度植え付けられた価値観はなかなか変えられない。

本を読まず、学校で習うことはきちんと覚える。本なんて読まなくてもいい点数とって、優等生として褒められる。それでいいや。そんな風に考えて育った私は、大人になっても知識が圧倒的に少ない。もっと本を読んでおけばよかった。周りの読書家の友人たちは、表現力が高く、思慮深くとても魅力的な存在だ。子ども時代のまっさらに近い、純粋な心に、きれいな言葉を染み渡らせていれば、もっと言語化能力が高かったかもしれない。もっと感性豊かに育ったかもしれない。もっと魅力的な大人になっていたかもしれない。でも過去は変えられない。社会人になって少し本を読むようになった。そんな私に上司がおすすめの本をプレゼントしてくれた。それも何冊も。読書家の上司は、私が読んだことのない作家の本をたくさん知っていたし、そんな本を読むのはとても新鮮だった。

 小説は好きだが、いつも何かに焦っている私は、仕事のスキルアップにつながる本をできるだけ読むようにしている。小説の優先順位はどうしても下になってしまう。しかし、たまたま見た対談動画で、とても頭がいいと有名な人が、小説を読むことによって、頭の中で実体験をさせてくれるというのだ。なるほど、ぼんやりと頭にあることをなんと素晴らしい表現で他者へ伝えるのだろう。自分の思いを言語化することは、自分を知ってもらうためにも、自分が自分自身を知るためにもとても大切なことだと思う。私は小さい頃にやらないと判断してしまったことを、今必死に取り戻そうとしている。



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