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祖父の葬式、時分の発達。

 6月6日に祖父が死んだ。令和6年6月6日90歳にて老衰で没。デミアンかよ!と思いながらおかんとやりとりして、職場に葬式で一週間くらい帰ります~の連絡をする。

 父方の祖父は名前をホヅミといい、やや短慮でせっかちで、浮気性の人間ではあったが孫である私のことは非常にかわいがってくれた。祖父が60になったばかりの頃に私は生まれたのだが、当時の祖父母は道路公団や県庁でバリバリ働いていたところを「孫と遊ばないかんのに仕事ややっておれるか」といってすっぱり辞めてしまった。えらく甘やかされた記憶があるが、それに対して孝行らしき孝行をした覚えがなく、そのことが死んだ今となっては心残りだ。何かというと買ってもらったりお金を出してもらったり、なんなら小遣いをせびりに行っていたがそれに対しておれはなにも返せていないという気持ちがある。できればいい年なんだからひ孫の顔だって俺があと5年早くがんばっていれば見せてやれた筈なのだ。まあすぎたことは仕方ない。祖父は逝ってしまった。残りの人生を蓮のうてなから見守ってもらってそれで多少なりとも恩返しとしたい。

 さて、葬式である。祖父は一応仏教徒だったので、正直異教徒の葬儀ということになるのだがまあそんなことはどうでもいい。大事なのは気持ちである。スブハを数珠に、クルアーンを真言宗お勤め帳に持ち替えて葬儀に参列した。

 ところでおれは長らく発達障害太郎なのですが、昔母方の祖母が死んだときは悲しまなかった。いとこや親戚に会えてご馳走が出てなんだかうっすら楽しかった(残酷ではあるが)記憶すらある。多分多動や衝動のなせる業なのだろうと思うが祖母の記憶が曖昧だ。

 幾分マシに発達を遂げつつあった大学院時代に母方の祖父が死んだが、その時は6年くらい前から死ぬ死ぬ詐欺状態だったためこれまたあまり悲しめなかった。あと母方の祖父に関してはそのときすでにダメダメエピソードを聞きすぎていた所為かもしれない。

 さて、離婚も経験して、去年一年間ボコボコに過ごしてさらに発達を遂げて父方の祖父の葬式だった訳ですが、これがすごかった。

 めちゃくちゃ悲しい。情報量が多い。エッッッッッッマジですか?!身内が死ぬってこんな悲しいの?!?!
が正直なところだ。
 
 まず祖父の訃報がほぼラグなしで伝わって、その時点で呆然とした。今年の4月に会いに行ったときには状態は悪いとは聞いていたが発語もしっかりしていたし、あと2年は生きるだろうと根拠もなく思っていた。ところがどっこい死んだのだ。
 
 なんだか妙にムシャクシャした気持ちでバスのチケットを取って職場に連絡して香川に帰った。父と母はそれなりに祖父に会いに行っていたからか一応心の準備がととのっていたようでさほど悲しんではいなかった。
 
 次の日が葬儀であったが年齢が年齢だったので大体の親類も友人も先立っていて、葬儀に来る人は少なかった。20年ぶりくらいに会った親戚がいたくらいだ。

 死に顔を覗いた。幾分頬が落ちていたが祖父だった。死んでいるなあ、と思った。悲しかった。自転車の練習の思い出とか釣りに行ったなとか、いろいろ思い出した。悲しかった。

 当たり前のことだが人が死ぬとその肉体は死体になる。当たり前すぎるが。しかし数ヶ月前に会った人間が、しかも身内が死体になっているというのはなかなかどうしてつらい。あんまりつらすぎてびっくりした。

 さらにその後だが火葬場にいってこれまたびっくりした。最近の火葬釜(こういう呼び方なのかは知らない)の性能がすごい。当たり前なのだが日本は現状法律で火葬が決められている。葬儀が終わると速やかに火葬場へ行って荼毘に付すわけだが昔は4時間くらいかかっていたところを1時間半でしっかり燃やしきるのだ。すごい。なにがすごいかというと感情の整理がつかなさすぎる。さっきまで死に顔を見て、(言い方は多少悪いが)祖父の形を保っていたものが1時間半たつと白い崩れた骨格標本みたいな状態で出てくるのだ。エッッッッッッ!?!早?!まじで?!これがじいちゃん?!白!骨!?骨壺!?みたいな状態である。

 そのごも坊さんの読経の最中に居眠りをかましたりしながら遺憾なくADHDっぷりを発揮しつつ葬儀も火葬もおわった。
 ハァ~~~~つかれた!すごい!こんな疲れるんか!

取りあえずね!辛い!悲しい!それはそれとして疲れた!
すっげえな定型発達っぽくなるとちゃんと悲しみを認識できるんだ!嬉しい!でも悲しい!つかれた!

 というわけでしばらくおれにやさしくしてください。という文章でした。


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