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やったことないからできない

2019年の9月、ファウンデーションコースへ入学。
"入学手続きはこの3日間のうちにしてください"以外、何も知らされないまま大学へとりあえず向かった。ちなみに、寮の契約の都合上、その3日間の最終日ギリギリでの手続きだった。

大学に着いたそこにあったのは、サンセリフ体で書かれたEnrolment(入学手続き)の文字とでかい真っ黄色の矢印ひとつが蛍光ピンクのベタ背景に印刷された大きな看板のみ。

前の大学での懇切丁寧な入学手続き等の案内用紙と比べて、なんともシンプル。メール以外に何の書類もなければ、案内人等もいない。不安しかない。

とりあえず、行列ができていたのでそこに並ぶ。
韓国風のファッションに身を包んだ女の子ふたりがいたけど、多分あの子たちは中国人だっただろう。そんな子達をみて、私の後ろに並ぶ綺麗なイギリス英語を話すファッション科へ進む女の子たちが「やっぱり国ごとにいろんな服装の子たちがいるよね」と話していて、「なんていうか、おもしろい(Interesting)よね、そう、おもしろい」と意味ありげにふくみ笑い。絵に描いたようなイギリス人だ!、と感動したことを鮮明に覚えている。その子たちのファッションこそ日本人の私からすると"interesting"だった、世界は広いなあ。

100人近い新入生に対してたったの2人という受付体制の中、半日かけてなんとか手続き完了。絶対2人じゃない。受付後にさらに手続きとして寮の住所やらメールアドレスの確認をされたけれど、「C」を【ʃi;(多分)】と発音して3回くらい聞き返されて「あーC【síː】ね、僕の英語が酷かったね、ごめんね!」と、イギリス人にめちゃくちゃ皮肉を言われたりした。「あーそうそう、C【síː】ですね、はは」と言いながら笑顔がひきつった、馬鹿にしやがって。

そんな手続きの最後、再び「明日の朝10時にここのキャンパスに行ってください」の情報のみをもらって帰った。ライアーゲームでも始まるんかってくらい情報くれない。

翌日朝10時ちょっと前にキャンパスに着いた。先生らしき人に「そこの紙にあなたの名前があるので探してもらって、自分がどこの教室か確認して10時30分からの授業に出席してください。」と言われ、A4用紙何十枚分ものリストの中から探して、ようやく2階のクラスということがわかった。それでも25分、時間を持て余した。一緒に座っていた子が親切で、結構話してくれてありがたかった。クラスは違ったけれど。こっちの寿司は美味しくないよと教えてもらった。

今までの幼稚園〜大学までの感覚で、「今日が初日の子が何名かいるので、よろしくお願いしますね。あ、じゃあ軽く自己紹介しましょうか」みたいなのがあると思いこんで、すごく緊張していた。

そして、10分遅れでついに授業始まり。呆気なく私の思いこみはスルーされた。まるで3日前からいるかのように普通に点呼され、普通に授業が始まった。えええ、そんなもんかあ。

この日から似たようなことがたくさん起こる。学んだのは、情報がなくて不安でも大抵なんとかなるし、よくよく自分の頭で考えれば大方予想できる。そして、予想が外れたとしても大したことはない。ま、そうか、と受け入れるのみ。

必要書類を持って大学に来いしか言われなかったけど、事実ちゃんと手続き終わったし。受付2人だけはいまだに根に持ってるけど(観光しようとしてたのに1日潰れた)。クラス教えるだけですよって事前に教えてくれれば30分もの無駄な時間はできなかったけど、知り合いできたし。10時ぴったりにきたの私含め4人だけだったし。それを見越して30分前だったのかもしれないし。

そう思うと、私はよちよち〜ってされて生きてきた気がしてきた。

自分で何か考えて動かなくても、スーっと物事が過ぎていく。周りの偉くて凄い人たちが、あれもこれもしてくれるし、たくさん必要なものを与えてくれる。それゆえ、少しでも不自由さを見つけると、いやちゃんとしろよ〜とか言いたくなる。いま考えれば、この思考回路は恐ろしい気もする。なんて自分本位で幸せなやつなんだ。

授業自体もカルチャーショックを受けまくり。一方的にプレゼンされて終わることはまずなくて、グループワークが本当に多い。授業内容を理解しようと頭動かしてないと、まるでついていけない。この初日の授業では、そんなことつゆ知らず、「グループで意見交換しましょう」と先生が言った瞬間に背筋が凍った。

「グラフィックデザインって何ですか?」という問いに対して、答えをじゃんじゃん言っていこうというディスカッション。

ビジュアル化する、という回答しか出てこず。けれど、「普通すぎるか?求められているのはもっと捻った答えか?」なんて考えすぎて何も頭にも口からも出てこない。まず英語も出てこない。みんなが答えてる単語も理解できない。

こんなことを考えているうちに、グループ内では10以上の回答が集まっていた。そして、次第にディスカッションに全くついていけなくなった。そもそも、英語とブレーンストーミングを一気にできなくて固まったまんま。

このときは、英語に慣れて無さすぎたのと緊張も相まって全然太刀打ちできなかったのもあるけれど、数ヶ月たって英語も聞き取れてある程度話せるようになった後も、なかなかディスカッションに参加できなかったりする。

これじゃあ、ほんとに身にならないので、ある時から強く意識していたのは、思ったことを全て口に出すこと。初日の時も、ビジュアル化だけでもとりあえず言えばよかったのだ、ということ。ここの学生は何か思ったことを口にするハードルがとても低いと次第に気づいた。そして、どんな答えでも受け入れてくれる体制ができているところも重要なポイントだとは思う。

ただ、思ったことを口にだす。これが結構難しい。まず、自分なりに咀嚼ながら授業を受けられていないと気づいた。

初めの数ヶ月は、クラスではずっと頭が真っ白のまま。スーっと過ぎてしまう。自分なりの考えは夜中布団の中で思いつく。あーくやしー!なんであの時出てこないかなーとか日々悔しかった。

自分の意見を持っていないダメ人間なのかなんて思った時もあったけれど、自分のこれまでの記憶を振りかえると、当たり前かもしれないとも思う。慣れてないと初めはなんでも出来ない。

今まで、小学校のスピーチなんかは原稿を事前に作らされていたし、「質問ある人ー」で当たり前の質問を誰かがするとクラスから笑いが起きるし、真面目に意見を言い合うなんてディベートの授業を数回のみ。子供の頃だけじゃなく、大人になっても、なんとかセミナーで手をあげる人ってすごく少ないと知った。知り合いだから質問してるだけなんてのも目にしたことある。大学の講義なんて誰も手を上げなかったりする。私の環境がそうだっただけで、日本が〜なんて決して言いたいわけじゃないけれど、やったこと・見たことない事は出来ないのだと言いたい。ダメ人間なんじゃなくて、知らなかっただけ。

わたしの留学先では、みんなビビるほど真面目に授業に参加していた。英語でいうEMOなファッションに身を包んだ厳つめの子も、あぐらかいて床に座って授業を受けるちょっと怖めの子も、先生にどんどん質問するし、ディスカッションもめちゃくちゃ発言するし、何か言えば反応もしてくれる。

ディスカッションとか(笑)みたいな空気になりがちだった私のこれまでの学生生活とはまるで違う空気感で、自分もちゃんと参加できるようになるまでなかなか時間を要した。

たった半年ほどではあるけれど、そんな環境に身を置いてみて、頭の中を口に出すハードルは下がってきたかなあと思う。高尚なこと考えてなくても、言っていいんだと矯正するのには十分な時間だった。

それから、思ったことをとりあえず言ってみる快感みたいなものに結構ハマった。些細なことと自分で思っていても、案外いいアイデアのもとになったり、みんなそう思ってるだろうと思っていても、1人から180度違う考えをぶつけられたり。おもしろい。何より、みんなと何かテーマを共有できている、チームの一員にちゃんとなれている実感が得られて嬉しい。日常生活で思ったことを言いすぎると不穏な空気になりかねないけれど、みんなで何かを創り出そうとする時、必要な力だと思う。

そんな、あらゆる面で環境に振り回された留学も、帰国後すでに約1年。自分でもこうやって昔の文章読んだりして記憶を掘り返さないと、どんどん抜け落ちちゃう気がして少し怖い。でも、読んだらちゃんと思い出せて、あの時みたいに気も引き締まる。それは嬉しい。

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