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依存恋愛に思うこと

 私はゴリッゴリの依存体質だ
今までも、なんなら最近までまたやらかしてた。
今までもそうだ。

依存恋愛、共依存
なにがいけないとされているのか、分からない。
分からないけど、思うことを綴ってみた。

私は依存体質だから基本依存を嫌う 
そして避けようとする
それなのにまたしてしまう。

でも、依存体質であることを理解しているから極力避けているはずなのにだ。

何故、と考えた時、必ずここには
相手がいる。
その相手はむしろ依存してほしいと思っている人だ。

でもこの依存させたいと思うタイプにも2種類居て

依存させて思い通りにしたいクズと

依存させてお互い本当に愛し合いたいタイプだ

クズの方はとりあえず置いといて
どちらも依存体質でお互い依存し合いたい
つまり共依存

これは一見するといい事のようにも思えるのに。
だってそれだけ仲が良くて、好きあっているのだから。

じゃあ何故ダメなのだろう。

私はここまで依存しまくってきたから思うのだけど、
恋愛関係においては、男性でも女性でも拗らせてしまうこともあるし、時々メンヘラ化することは誰しもあると思ってる。

でも、それはいい
なぜなら付き合いが長くなってくればある程度落ち着き、対処もわかり、お互いどうしたらいいかがなんとなく分かってくるからだ。安っぽい言葉でいうのなら、成長とでも言おうか。

けれど、共依存は私の思うに底がない。
天井知らず。
お互い好きだと愛だとかそんなのもはや関係なく、依存相手に小さな欲求から大きな欲求、無理難題を投げかける。そしてそれを受け止める。
投げかけられるのも受け止められるのも愛だと思って。

私は底なし、天井知らずと書いたけど、ここであえてそれを覆す。
なぜなら、実は、あるからだ。

通常の人とは比べものにならないほど上に、そして下に。

いつかは必ずこの底が天井にぶち当たってしまう。
どちらかが。そう、どちらかが。

片方は今までと違うと不安になる

こじれて揉めてしまう。
疲れてしまう。

場合によっては病んでしまう
傷つけあってしまう。

お互いがずっと果てのない要求やワガママ
嫉妬や束縛をし合い、それをお互い受け止めあい
そして他に気持ちがそれることなく、死ぬまでそれを続けられるのならそれは幸せなことだと私は思う

でも、必ずどちらかの疲れや不満が爆発して
大きな揉め事になってしまう。
片方はいままで貰えていた愛情(?)が貰えなくなり、不安定になってしまう。
あるいは片方が今までぶつけてもらっていた愛情(?)がぶつけてもらえなくなり不安定になってしまう。

必ず飽きはくる
必ずピークは下降する
必ず思いは落ち着く
 
そうなると、これを受け入れられずに

バランスが崩壊してしまう。

正直、どんなにメンヘラでお互い共依存し合っても
必ずそのピークは下降してしまうし、ずっと同じ熱量でお互い依存しあえるかといえば否。
それは経験してきたから分かる。

結局、普通の関係を築くより
依存関係は甘いけれど、無くすときは倍以上の
苦しみが待っている(いた)

ずっとラブラブで居ることと
ずっとお互い共依存しあうことは
必ずしもイコールではない

そんなものしなくてもいつまでも
昨日付き合ったばかりのような恋人同士は
普通にいる。

依存恋愛が悪いと言いたいのではない
ある程度それをして楽しんだなら
依存の度合いを苦しまなくていい程度に
調整しながら、せめてどちらかでもいいから
それを上手くコントロールして
お互いが満足いく形に緩やかに変えていけたなら、いつも間にかこうなってたね!と笑いながら、いつまでも仲良くやっていけるのでは?と今の私は思っている。 

追記
依存し合いたい、一緒にいたい、好きだなと思える相手と出会えたなら、それはとても素晴らしいことに変わりはない。

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