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たくさん怒ってごめんね

今、彼との時間を少し振り返る。

後悔や、理解が足らなかった事への罪悪感。

彼の事をもっと分かっていたなら
違う接し方があったかもしれない。

たくさん感情的になって怒鳴った。
いや、それすらも彼はどこか楽しそうにしている場面もあるにはあった。
でもそれは、私が溜め込んだ自分の感情をぶちまけた時。怒る声もキライじゃないと言っていたっけ。

でも、私は最後の最後で、彼を非難し、理不尽だと声を荒げた。こんなこと言われないといけないのは理不尽だ!と。  

前者と後者の違いはなにか
それは私が思っている事を素直に感情的にぶちまけるのなら、彼はそれすらも受け入れてくれていたけれど、最後にしたのは、彼への非難。

彼はたぶんその時、これ以上はもうムリだと思ったのかもしれない。その晩、いやその前の週から寝れていなかったらしかった。

揉めれば、どうしても感情的になる場面はある。
私が怒れば、それを回避するために、謎の行動や理論で返してくる、それが分からない私は尚大きな声で怒った。

相当彼を追い詰め、苦しめていたと思う。

彼になんら悪気がないことを分かっていながら。

それでも人と人との繋がりの中で、やはり
分かり合おうとする時、感情的になってしまう場面は、ある。

それは怒りの中にでも、相手と分かり合いたい、そういう気持ちからだ。相手を怖がらせたいわけでもなければ、萎縮させたいわけでもない。

怒鳴ってしまっても、泣いても、分かり合いたかったからだ。

今さら自分を責めても始まらない。

生きた人間である限り、それは無くせない。

でも、彼をもっと理解していたら、それは少し変えられたのかもな……と今は思う。

別れにはどちらが悪いというものではないと思っている。

でも、彼は彼で常に優しく、精一杯向き合ってくれた。

私は私で全ての力で彼と向き合ったとそれは自信を持っていえる。今までの誰よりも。

その結果のお別れなのだ。
おそらくお互い、全力を尽くしただろう。

今は、寝れていますか

あなたは魅力のある人だ
だからこれからもたくさんの人に出会うだろう
必ず分かってくれる人がいるだろう
私には、それが出来なかった。
私ではなかった。

そんな私に彼は事ある毎に、優しいと言ってくれた。
最後の話の時ですら。
私は何故……と今も思っている。
どこが?と今も思っている。  

優しさとは、と最近よく考えている。

でも彼にとって、私のなにかが優しかったのなら、それは私にとっても救いになる。

あなたはもしかしたらこの世界で生きるのが 
とても難しいのかもしれない。
私もそうだ。
いや、生きやすい人などそんなには居ないのかも
しれないけど。
でも、ボロボロになってたくさん傷つかないように
自分をしっかり守ってね。

守り方なんてなんでもいいよ
嘘つこうが、ちょっとくらい卑怯なことしようが。
それでもいいよ。

皆がダメだと言っても私はそれでいいと思う。
皆、人には厳しいんだ。
皆だってそんなキレイに生きちゃいない。
だから、そうやってでもいいから
しっかり自分を守ってね。
楽に生きてね。

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