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死の直前に書かれた詩~涙なしには聞けないお話し。


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今日は、21歳の若さで亡くなられた大島みち子さんの日記を紹介します。
 
「若き命の日記=愛と死をみつめての記録」の著者の「ミコ」こと大島みち子さんは1960年、高校生の時に難病を発症し、大阪の病院に入院しました。
 
その後卒業まで入退院を繰り返しますが、その入院していた病院でみち子さんは運命の人「マコ」こと河野まことさんと出会います。
 
以来、2人は文通中心のお付き合いが始まります。
河野まことさんが東京の大学生だったからです。
 
1962年、みち子さんは同志社大学への入学を果たすものの、病状の悪化により再入院のやむなきにいたります。
 
以後病状の回復は見られず、みち子さんは1度も退院することなく、21歳の若さで1963年の8月7日ご逝去されました。

3年1か月で河野さんとの文通は400通にも及び、それが『愛と死を見つめて』というタイトルで出版され、大ベストセラーとなりました。
 
「若き命の日記:愛と死を見つめての記録」
は、みち子さんの闘病生活をつづったものですが、ここではその大島みち子さんの日記の一篇を紹介することにします。
 
死の1週間ほど前に書かれた詩です。
 
この日記を読むと、普段私たちが口にしている「辛い、悲しい、苦しい、なぜ自分だけが……」と言う言葉が、いかに的外れで、わがままなものであるかが分かります。
 
<病院の外に健康な日を3日ください>
 
一日目
 
私はふるさとに飛んで帰りましょう。
そして、おじいちゃんの肩を叩いて、それから母と台所へ立ちましょう。
おいしいサラダを作って、父にアツカンを一本つけて、妹たちと楽しい食卓 を囲みましょう。
 
二日目 
 
私はあなたの所へ飛んでいきたい。
あなたと遊びたいなんていいません。おへやを掃除してあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしいお料理を作ってあげたいの。
     そのかわり、お別れの時、やさしくキスしてね。
 
三日目 
 
私は一人ぼっちで思い出と遊びます。
そして静かに一日が過ぎたら、三日の健康をありがとう、と笑って永遠の眠りにつくでしょう。
 
(大島みち子著 大和文庫より) 

尚、この詩には作曲されてYouTubeに公開されています。
これまた悲しい音楽ですが、興味ある方はぜひご視聴下さい。


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