傾いた私が出来るまで。
◻︎好きだったはずなのになんだか辛い。
◻︎こんな私が音楽なんてやってて良いのだろうか…。
◻︎私はなんのために音楽をやっているんだろう…。
こんな気持ちでいっぱいだった。
好きななら好きってシンプルに向かえばいいのに、『どうせ私は』と勝手に音楽に背を向ける私のすねちらかし生活スタートは、
高校1年生。
音高受験の失敗がきっかけ。
今だからわかるけど、正確にいうと失敗そのものに立ち直れなかったのではなくて、【目標設定】が間違っていたことによる【喪失感】でどうしたらいいかわからなくなってしまったのだ。
苦しみながらも、まっすぐに自分を認められなくても、ずっとメンタルが沈没していたわけではなくて、どうしたらこの【喪失感】を埋められるのか、、
あの手この手を試しながら、戦ってはいた。
アマオケにコンサートミストレスとして参加してみたり、仲間と室内楽を組んで定期的に学内コンサートでコンサートを自主企画してみたり、思い返すと結構やっていた。
しかも、アマオケは自分が後につくることになるオケのベースと、"教える"ことの原体験になってるし、コンサートの企画にしても室仲間との音楽活動にしても、"今"の私が思考で辿りついたことをナチュラルにやっていたあなたすごい!よく頑張ったね。と、当時の私をヨシヨシしてあげたい。
ほんと、よくやったね、15歳の私。
もがき続ける日々の中、19歳でフジテレビドラマ《のだめカンタービレ》のオーケストラメンバーに合格。
テレビやコンサート、のだめ関連のCMとかMVとかそれなりに活動できるようになる。
だけど、結果的に何が【喪失感】につながっているのか、根本的なところがわかっていなかったから、続けるのが身体的にも辛くなって、23歳で音楽から離脱。
もうやめよう。
と思ったあの年末は今でも忘れない。
その後4年。
私は楽器を弾くこともなく、『弾きたい!』という欲求もなく、、
長い長い封印期間に突入。
時は流れ、私は今、38歳。
小学校で非常勤の音楽講師として勤務しながら、総勢40名の生徒さんと、4名の講師とスタッフがいる音楽教室を主宰している。
講師仲間で尊敬する音楽家でもあるメンバーと室内楽を組んで、定期的にコンサートを企画、運営。
一応、、音楽家と言ってもいいと思う。
封印期間から今日、ここに至るまで
少しずつ書いていこうと思う。