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気になる1955年

先日個人的に愛読している作家の年表を作っている、という話を書いたついでに、以前から不思議と意識するようになった「ある年」について。
1955年〈昭和30年〉が気になっているという話です。

1955年というのは1954年と1956年に挟まれた、自分が生まれる随分前の”ある年”でしかなく、そこには過去について思うような実感的な思い入れはありません。当然ですが。
それでも1955年だけがどうしてこうも目に留まるのか。

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きっかけは多分これです。

もう随分前の事ですが、確か独り暮らしをするようになって暫くした頃。
坂本龍一がグレン・グールドに傾倒している事を何かのインタビュー記事から知りました。当時、クラシックに興味を覚えていた頃だったので一度聴いてみたくなり、手に入れたCDが1955年版と記されていました。
J.S.バッハの「ゴールドベルク変奏曲 BWV988」を私はこの時始めて聴きました。

その方向に明るくない素人なので物知り顔に語れませんが、何が今聞こえているんだろう?と最初は自分の耳を疑ったほど、時折混じるグールド自身の鼻歌に驚き、それからどこか麻薬的(この表現が正しいかは置いておいて)な没入感に呑まれて、ストンと穴に落っこちるようにこのCDに聴き入りました。

ここではない時空に連れていかれるような、無限に聴いていられる陶酔する感じとでも言いましょうか。呑まれて連れていかれる。大きなロボットアームに背中をつままれて、ひょいっと宇宙空間に放りだされたような感覚でした。
弾き手の解釈によって、こんな表現の仕方があるんだ、とそれまでクラシックに対して畏まっていたのが取り払われた気がしました。

グールドの特異性や神秘性は、あとから書籍などで知ることになりましたが、その麻薬的な?作用も働いて「1955年」という年が私の中で、「グールド録音の年」とばっちり記憶されました。
その前後の時列の中から”ささくれ”のようにピンと飛び出た形で。

ちなみに1981年版の(彼の晩年となってしまった)再録音された版もあり、1955年の録音と1981年版を聞き比べたりする楽しみもあるらしいです。
私は1955年版の方が断然好みです。

これ以降、やたら1955年が目に留まるようになりました。
そして最近だけでも、これだけの1955年が私の心を捉えています。

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少し前に志賀直哉の「衣食住」という随筆を読んでその感想を書きました。
その中で、志賀直哉が常盤松に居を移したという記述が1955年であったことに、心を秘めて反応していました。


画家の猪熊弦一郎がパリ留学への途中で、立ち寄ったニューヨークに魅了され、その後20年に渡り制作活動を行ったのも、1955年からとありました。


つい先日、同世代3名の作家の方についての記事で、茨木のり子が最初の詩集を出し、須賀敦子がパリ留学から戻ったのが1955年と書きました。
(私の中ではすごく意識していました。)

ただそれだけのことなのですが。
この調子では、この先も1955年に敏感に反応しながら暮らしていくようです。

そして回りまわって。
世界的に話題になったこのグールドのアルバム1955年版を、ここに取り上げた方々も当時聴いていたかもしれない、というまたもや勝手な妄想を一人で楽しんでいます。

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