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はらはら

瞼の上にかけられた柔らかな布の感触に気を取られていたら、うっかり涙が込み上げてきたので慌てた。ないない、ここでじゃない。
今私はヘアサロンのシャンプー台で仰向けの体勢になっている。美容師の彼女の指が頭頂部から側頭へゆっくりと動く。その適度な指圧感に恍惚としていると、ふと、前回同じようにここに座って瞼を閉じながら、泣くまいとしていたのを思い出したのだった。

それは一月の初めで、にこを火葬した翌々日だった。
そして今日は、父の葬儀を終えた翌々日である。
昨日、高松から戻る新幹線の車内で、名古屋を過ぎたあたりで急に髪を切りたくなった。日はいつでもよかったのだが、いつも切ってもらう彼女が今日の10時の空きがあったので予約した。タイミングの偶然に気がついたのは今だけど、髪を切りたいと思った時には、にこの事も考えていた。私の髪の先っぽは、にこの骸を抱いたときに触れたよな。それを切ろうとすることに、自分だけの意味を込めたよな、と。

一昨日、棺の蓋を閉じますと葬儀社の方から声がかかっても、すぐには退くことができなかった。白い布の下にある体は私の手に覚えのない、冷えた固まりになって一層よそよそしい。葬儀のためだけに大阪から来てくれた叔母たちは、兄として、弟として、それぞれの懐かしい呼び名のまま父を悼んでくれた。でも体や顔には触れようとしなかった。穢れなどの理由で当たり前の事なのかもしれない。
でも私はこの人の娘だから、散々振り回され関わった父だから、しきたりに目をつぶって堂々と触れるのだ。入れ歯が入っていないから見慣れない形になった上唇も受け入れて、そのまま父と思い込む。弟も同じ理由で父の髪を撫でたのだろう。
しかしもうそろそろという空気もわかる。本当に見納めとなる間際、私は父の胸あたりに自分の頭を近づけてコツンとぶつけた。
(お父さん、じゃあね。)
声にしない声を、その一瞬に込めた。

目の前の大きな鏡越しに、まだ3つという彼女のお子さんの話を聞いている。乗り物が大好きで、カーズが好きなのは前回聞いたから知っていた。次来る時に、家にあるマックイーンを持ってくるって言ったのに、「忘れちゃった〜」と言うと、「そんな!大丈夫ですよ」と八重歯を見せて優しく笑ってくれる。
うちの子のお古じゃ申し訳ないけれど、小さいものだから一個ぐらい覚えてて持ってくればよかったなぁと悔いた。

ここでなら全く関係のない話をしていい。泣かなくていい。考えなくていい。
犬を看取ったことや、四日前に父が逝ったことや、母をひとり高松に残していることなんかを置いて、他愛のない話で笑っていい。子どもの言い間違いを教え合って懐かしみ、彼女の着ているセーターを褒めて、前髪をどんどん切って、おでこの半分ぐらいまで見せて、春らしくなりましたとにやにやしていい。

一ヶ月半の間に伸びた髪の先っぽが、私から離れて床に落ちている。
一昨日父に最後に触れた部分も、この中に混じってはらはら落ちていく。

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