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二度目のキンモクセイおわる

今年二度目に咲いた金木犀が散って、日曜には香りも全くなくなった事を、去年から始めた五年手帳に書いた。随分前の新聞で、気象庁が生物季節観測を廃止する(その後縮小し形を変えて継続)という記事を読んだのがどこかに引っかかていて、なんとなく自分の身の回りの自然や環境の変化をメモ程度に残しておこうと思っている。

記録と言っても大したことではない。ただ来年の自分が懐かしむ為のメモである。例えば、

「キンモクセイ香る。〇〇(息子名)とヨロコブ。」

と、本題の前に1行書いておくだけのものなのだが、この1行が、自転車の後ろに乗った息子と、坂道を下りながら金木犀の香りを胸いっぱい吸い込んだ記憶を思い出にして連れてくる。起こった事柄をそのまま書くよりも、道端の花や空の変化、鳥の声なんかを書いておく方が、その時の空気のようなものまで一緒に閉じ込められている気がする。自分だけに通ずる呼び水作用だ。富士山の初冠雪が何日早いというのより身近でピンとくる。自分の尺度をこんなもので図っていくのがいいのかもしれない。

今朝息子とサルスベリの前を通った時、白い木の方はもう随分前に花を落としてしまって、少し離れたところのピンクの花をつけるサルスベリの方は、まだ枝の先端の方に所どころ綺麗な花をかためて咲かせていた。
私は「まだ残ってるわ」とぼんやり思っただけだったが、息子は「コンペイトウまだ咲いてる」とぼそっと言うのだった。
寝起き早々、だらしないまま朝食を食べて私にぴりっと怒られたあとだった。そのままふてくされ顔で玄関をでたのに、少し走った緑道のサルスベリの前で私に聞かせるためでもない素直な一言がなんかよくて、今日の日記には、このことを残しておこうと思ったりした。

私の行動範囲は、学校や子供の習い事、スーパーへの買い物にあとは犬の散歩ぐらいで、ほぼ半径500メートルぐらいのいびつな円に収まっている。
一行のこのメモは、「ここで生きてました」という私的観測記録のひとつである。

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