乗り越えていなくても、寄り添っていい。

今朝の朝ドラはみるのが辛かった。
描かれる場面を知っている事実とつないで、想像して痛んだ。
新聞では伊豆の豪雨災害の被害が伝えられている。救出活動が続く中、生存率が著しく下がる72時間が迫っていると書かれている。自分の目の前で土石流に家族が流された方の記事があった。厳しい現実が胸に迫り、痛む。

NHK取材ノートのこの記事を、先日から何度も読み返している。
10年前の東日本大震災を、その発生の瞬間から報道したキャスターたちの葛藤と苦悩。掴める限りの正しいと思える状況を冷静に素早く報道することが人の命と直結しているのだ。海面があふれたような中継映像に「津波」という表現が正しいのか戸惑ったという、その迷いは自然現象にマニュアルがないという当たり前の事実を知らしめる。
「命を守る呼びかけ」が出来たのかと今も問うアナウンサーの悔恨が、
「命を守る行動を促す」呼びかけを模索し続ける今につながっているのだ。

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今から26年前、私は阪神淡路大震災で被災した。
明け方、下からドンっと突き上げられた勢いで布団が跳ね上がり、すぐ大きな揺れが襲ってあらゆるところから物が飛んできた。部屋は真っ暗で天地が分からない。食器が割れ、物が倒れて壊れる音とゴォーという地響きにかぶさって父の「地震や!」という声が聞こえた。
真っ暗闇の中で、物でふさがり開かなくなった部屋の扉を父がこじ開けて入ってきた。母と弟の声も聞こえ、皆生きていると分かった安堵のあと、生まれて初めて全身が震えた。奇跡的に私達に怪我はなかった。

それから数か月の間は点々としか記憶にない。
お風呂はしばらく我慢できたけど、歯磨きとトイレに困ったな。とか、
食べ物の配給が比較的被害の少ない私の住む地域まで届かなかったので、
海苔や鰹節の乾物や、ビスケットを割って食べてしばらくしのいだ事。

電気は翌日には復旧したけれど、水道とガスは3か月も止まっていた。ライフラインという言葉を知ったのもこの時が初めてだった。
電気の復旧を確かめるために付けたテレビで、団地の真ん中階部分がへしゃげて倒れかかっている映像が映しだされていた。外壁の縦横に亀裂がはいったうちの団地も次の余震でどうなるのか。安全なんてどこにもない、誰も何も保障してくれない。そんな状況で家の中で眠ることができず、真冬の寒さの中でしばらく車内で寝泊まりした。

変な感覚だけれど、数日過ごすうちに余震に慣れてきた。恐怖はつきまとうけれど、まずは家に散乱したものを片付けなければならない。
すぐ飛び出せるように玄関の扉を開けたまま、靴を履いたまま割れた食器や飛んで壊れた仏壇の破片を片付ける。電気はきているのでテレビをつけっぱなしにしておく。どの番組も震災のニュースばかりだ。NHKのアナウンサーが亡くなって身元が分かった人の名前を読み上げるのに手を止まる。近くの区になると、知った名前がでてきていないかと緊張が走る。名前の隣に出る年齢が0歳からお年寄りまで。なんということ、なんということ…。無常すぎてもう見たくないのに目が離せなくなって苦しいのだ。

パチ、パチ、とチャンネルを変える。
変えても、変えても、場面が違っても、知った町の知った通りの知った商店街の変わり果てた姿が入ってくる。
ある局のアナウンサーが
「これが東京で起こった場合にはどうなるかを専門家とみていきます。」
専門家という年配の男性が、拡大された東京の地図を指して検証を始めた。

信じられないほどの怒りがこみあげて来て、持っていたテレビのリモコンを投げつけた。
「ここに居て、恐怖と不安で震えている私達は置き去りなんだ。」
悔しくて苦しかった、とても。

投げたリモコンがどこかにぶつかってチャンネルが変わっていた。
教育テレビの子供向けの番組が流れている。小さい女の子が歌っている。アニメがかかり、人形劇があり、まるで地震などなかったみたいに普通に放送されている。

普段見る事のないチャンネルに、恐怖や不安のない世界があった。私は片付けの手をやすめたまま、しばらくぼーっとテレビを眺めていた。さっき荒だった感情は少し凪になった。少し「救われた」と思った。
あの時起こった事より、あの時湧き上がっていた感情の方を思い出す。それよりも大変な事が沢山起こったのに、忘れられないのだ。


***

被災した人それぞれに異なる事情があり、時間の経過と共に抱く感情も変わってくるのだと思う。私の場合、「乗り越える」という言葉をここで簡単に使えないのは、30年近く経った今でも死を意識したあの瞬間のトラウマや、大切な人を失うかもしれない怖さに捕らわれているからだ。

新たな災害のニュースが報道されるたび、私は過去の体験を呼び起こして体と心を硬くする。
そして本当に思う事しかできないのだけれど、どうか無事でと強く願う。
人もそこにいる動物達も。

それぞれの思いを抱きながら寄り添う人達が沢山います。
その想いが、強く優しい希望につながりますように。

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