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泡日記 日々を漕いで

にこが居なくなって10日経った。毎朝おりん代わりのマトリョーシカを鳴らして、ごはんと水を入れた小さな器を取り替える。お骨の隣に飾ったにこの写真と、私がマトリョーシカに描いたにこのとぼけた顔が、現実と虚構を行き来させる。今日はどっちに転ぶのよと、にこに問われているようだ。
子供と夫が居なくなる日中は余計家の中が静まり返る。いや、これまでも静かだったが、ここには自分以外の息が吐かれていたし、自分以外の体温も存在していた。

今日は吉祥寺へ出かける。天気が良いので下北沢まで自転車を走らせて、そこから電車に乗ることにした。雑多な渋谷を経由するのが嫌だったのもあるが別の意味もある。道の途中には、にこが最期の数日お世話になった動物病院の前を通るからだ。年末年始は通っている病院がお休みに入るので、三が日に急患を受け入れてくれる病院を紹介された。結局その病院に一日から五日まで毎日通う事になった。呼吸が苦しそうなにこを自転車の前籠入れたリュックに積んで、大丈夫、行けば楽になるからねと声を掛けながら、慣れない道を漕いで走った。

臨時とはいえ、診て下さった先生に「亡くなりました」と言えてないのを詫びる気持ちで、前を通ったついでに頭を下げた。ありがとうございました‥
(前籠が軽い。)
生きていたにこを乗せて通った12日前の同じ道を、今日は歯と爪と尻尾の小さな骨を入れた銀のキーホルダーを持って私は走っているのだった。
正月の空気は遠く薄れて、商店街には賑やかな日常の人通りが戻っているように思えた。昨日はもう今日ではないのだ。不在となった存在の記憶はこうして更新されていくのだろうか。

百年さんでZINEの清算をして頂いた。望ましい売り上げ冊数は分からないけれど、百年さんで私のZINEを沢山の方に売っていただけた。知り合い以外の輪に届ける術がない私にとって、ここで取り扱って頂いたのはとても大きな事だった。
樽井さんに会えないかもしれないから、小さなお手紙をお菓子に添えさせてもらった。ここに来たら今の私のメンタルでも、“次の作品を”と欲の波が振動する。出来たらまた読んで下さい。

今日は震災の日でもある。ニュースから繰り返し東遊園地と当時の映像が流れてくる。同じあの時を体験し、そこに居た人達のひとつひとつの話は、これまでの時間を必要としてやっと口に上ってこれた言葉かもしれない。
ああ…と思いながら耳を傾けた。
今でも父が轟音の暗闇の中で叫んだ「地震や!」の声を記憶からすぐそばにひっぱっるって来ることが出来る。物が倒れて開かなくなった扉を無理やり押し広げて私の部屋に入ってきたあの父は頼もしかった。父親の姿だった。
能登で震災で被災してこの寒さの中で不安な夜を過ごしている人のことを考える。29年前の自分と家族の姿がそこにあった。

百年で買った本:
「尾崎翠」群よう子、「鍵のかかった部屋」ポール・オースター、「脳のお休み」蟹の親子

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