浮草のような恋 (閑吟集12)
「身は浮き草の 根も定まらぬ人を待つ 正体なやなう 寝ようやれ 月の傾く」(閑吟集)
恋の始まりの熱い時を過ぎると、男と女の間に風が吹き始めることがある。
些細なことで喧嘩したり、一時的な感情の揺らぎにぶつかり合ったり。
想い人の優しさやいたわりが、かえって重荷になったり、わずらわしくなってしまったり。
誤解とボタンの掛け違いから、やがて激しくぶつかり合い、破局に向かうこともある。
それはお互いの感情が、普通の人間関係以上に繊細に、過敏になっているからゆえに起こりうる現象。
こんな時は想い人がとっても、憎たらしい存在に変わってしまう。
なんて嫌な女だとか、なんて嫌な男だとか、平気で心の中で思ったりしてしまう。
人間は感情の動物だから、言われたら言い返す。
そしてそのままぶつかり合い、どんどん深みにはまっていく。やがては、お互いにあんなに想いいたわりあっていたのが、気が付けば、憎たらしい存在となってしまう。想い人のぬくもりが、氷のような冷たさに変わる。
まさに愛と憎しみは表裏一体。
でもしかし、こんなときの本当の優しさは、どちらかが大人になって、一呼吸おいて、冷静になってあげることなのだろう。
やれやれしょうがないなあ、と想いながら、心の中の激昂を抑え、冷静になるように努める。
相手に対して憎しみではなく、その上にそれまで重ねてきた想いを上書きするようにする。
心から流れた血を自分の手で拭い取り。
しかしながら言うのは簡単だが、こんなことが出来る人は、まさに聖人君子のようなもの。
恋の路を迷っている時に、地図が空から落ちてくるわけではない。
想い人とそのまま別れてしまうか、またよみがえるのか、月のみぞ知る。
「身は浮き草の 根も定まらぬ人を待つ 正体なやなう 寝ようやれ 月の傾く」(閑吟集)
自分への気持ちが定まらない人を待つ、この自分はまるで浮き草のように取り乱すしかない。こんな時は寝るのが一番。月も傾いてきたことだし。
恋の手引きとしては素晴らしい先人の言葉。
浮き草だからこそ、心はいつもあっちにいったりこっちにきたり。
だけどもしかすれば月の満ち欠けのように、
また月は満ちてくる、と信じよう。
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