全てが意味を持つ、ということ
お疲れ様です、あおです。
11月も怒涛過ぎてファッション関連以前に自分の人生と真剣に向き合わないといけない局面になり、文字通りの死闘の日々でした。
でも良い意味での忙しさでした。
全部自分で決めていい。好きなように、納得のいくまで考えて、自分で決める。そうして私の人生は私自身のものになる。
これを体験する月となりました。
⌘転職しました
バッサリ言うと転職しました!!辞めるってただの逃げじゃないのか、とグタグタ言ってたんですが、結局人間関係(特に例のパワハラ上司と)がうまくいかず、ないことないこと言われまくって疲弊して、メンタルがやられる前に離れよう…と決意した次第です。
で、最初は自分でエージェントにエントリーするところからだな…と思いながら、それでも今までお世話になってきた人達に挨拶しないとな、となりまして。
「この仕事辞めて別のところを探そうと思ってるんです」と伝えたところ
「よっしゃ!!なら別の仕事紹介したるわ!!まかしとき!!何かやりたいことある!?」
うん?
よく通う花屋さんに顔を出して「転職活動することにしたので暫くは来れないです」と顔馴染みの店員さんに世間話のつもりで言うと
「そうなん!?ならクリスマスの時期忙しくなるし、仕事探しながらでええから手伝ってくれへん?給料出すから!」
うん????
結論から言うと辛い事を一つ手放したら出会いが二つ舞い込んできました。
予想外すぎてびっくりした。
転職活動する暇もなく、というとアレですけど、嬉しいことにスケジュール調整で忙しかったです。
そしてその2人は私に同じことを言いました。
「あおさんにはお世話になりっぱなしだったから困ってるなら助けたいって思うやん?」
正直言われてもピンと来なかった。
そんな自分の図りかねているような顔を見てか、具体的エピソードをあげてもらうまでしてもらう羽目になった。
だって困ってる人がいるなら助けに行くのは自分にとっては当たり前だし、悲しい事があるなら話を聞いて少しでも気持ちが晴れやかになって欲しいと思うし、「私に助けてもらったエピソード」を聞いても「でもそれは人として当たり前のことでは?」と思ってしまった。
むしろその助けてもらった記憶を大事にしていて、その恩をちゃんと返すことができる相手の方の人間性の高さに尊敬の念しかないんですけども。
個人的に前から尊敬している人たちだったので、自分も困っている人に対して適切にアプローチが出来る人間性の高さと人脈の広さを築いていきたい…と思った。理想高い〜〜。
そしてこの怒涛の動きがあったのが10/29、満月の日だったわけです。
これが10/29のムーンプランナーさんの記事です。
いや、あの、そんなことある!?!?
占い系は正直信用していない自分でもドンピシャすぎて鳥肌が立った。
⌘自分を許さないと何も始まらないよ
事の顛末を友人に報告がてら話していて
「うちはこんなにポンコツなのに周りの人達が人間出来すぎてていつも助けられてるんだよな〜ありがたいけど申し訳なくすら思うよ」と言うと
「お前は何言うとるん!?!?」とブチ切れられました。
「いつも聞いてて思うけど、お前は人の好意に感謝することは多いけど自分自身に感謝することって本当にないよな!?」
「お前に助けられたから同じように助けてあげたいって相手に思ってもらう事自体相当なことだぞ!?」
「この際だからはっきり言わせてもらうけど、良い加減自分の影響力を自覚しろ!?自分の行動に責任感を持てってそういうことやと思うで!?」
「”自分なんかが”が癖になっとると自分がした事すらどうでも良いってしまって思い出せなくなるんやろ!?でもそれはあおちゃんに助けられたって感謝してくれてる人たち丸ごとなかったことにしてるんやで!?それって酷いことだと思わん?『私何かやっちゃいました?』は善行だろうとダサいで!?それは謙虚でも何でもない!!」
確かにそうだ。
自分は正直今まで散々愚直だの不器用だのメンタルが弱いだのと言われ続けてきた。
そしてそれは本当だ、と思ってた。
だから変わらないといけない、と思ってた。
世渡りが上手で器用で強くないと生きていけない、と思ってた。
そうしないと認められないし愛されないと思ってた。
でも感謝の気持ちを伝えてもらえたのは、今の私を救ってくれたのはその「愚直で不器用でメンタルが弱い自分自身」だったのだ。
私は私のままで、私を救う事が出来たんだ。
それは紛れもない事実なんだ。
そう思うと、自惚れかもしれないけど自分自身を許す事ができた。
考えないように、認めないように目を背けてきたことにちゃんと意識を向けること、事実を事実通りに見て、感じたことは誤魔化さずにちゃんと感じること。
ようやくこの言葉を本当の意味で理解できるようになったと思う。
そのことに気づかせてくれた友人に感謝です。
⌘自分の本当の声
転職活動がスムーズに行ったのも「自分が何が好きで何をしたいのか」が自分の中である程度わかっていて、それをちゃんと人にも物怖じせずに伝える事が出来たからだと思う。
そしてそれは自問自答ガールズ界隈に入って「自分の好きなものは?理想は?なりたいものは?」と文字通り「自問自答」をやって訓練をしていたからだとも思う。
訓練なくしてぶっつけ本番でいい結果は出ない。
前は「私なんかが…」と言う思考がどうしても根付いていて、「自分の気持ち」を伝えること自体に怯えていた節があった。
でも「自分は他人に成り変わることはできない/自分自身にしかなれない、なりたい自分は自分自身の延長線上に存在する」という考えから、自問自答ガールズ界隈に足を踏み入れることを決意し、悩みながら、泣きながら、もがきながら、気づけば今年も終わりに差し掛かろうとしている。
それでも今回上手くいったのは、今までの「訓練」のおかげだと思っている。
「自分も素敵なものが欲しい。自分も好きなものを身につけてみたい。でも今のヘドロみたいな自分には不相応だから…」って手放してしまったものでも、今でも強烈に心に残っているなら、それらが目に留まる機会は無意識に多いわけで、逆に行動さえすればまた手に入るかもしれない。それもまた縁だと思う。
そしてチャンスが来た時に、いじけずに自分自身を主張して自分から手にしていく力が必要で、その力がすなわち「自問自答の力」なんだろう。
ぽたまるさんの記事を読んで「まるで今の自分のようだ」と思った。
今後またへこたれる時があるかもしれない。
どうしても折り合いがつかない人とエンカウントしてバトルしないといけない場面があるかもしれない。
力尽きてしまう時があるかもしれない。
現実世界に嫌になる時があるかもしれない。
でも傷ついてもいじけて自暴自棄にだけはなるまい、と強く心に誓った。
だって私は私を救えたんだ。それは本当にすごいことなのだ。
私は私の理想を小さくても自分の意思で、力で手にするだけのエネルギーがあるのだ。今までいじけておびえていた自分からは信じられないことだ。
そして私自身を認めてくれた人が実際にいるのだ。
ちゃんと自分で前に進めているじゃないか。
だから大丈夫。
私が私自身を手放さない限り、あきらめない限り。
私が私自身の好きなものや理想をちゃんと聞いて、抱きしめて、手に入れるために努力して、疲れた時にはちゃんと労わって…
そうして私の人生は私のものになるのだ。
終わりに、カメラ画像を整理している中でヨシタケシンスケ展の展示写真で自分自身に刺さったものがいつくかあるので、それを紹介します。
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