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コンセプト(の前段階)の話


お疲れ様です、あおです。
最近自分の目の前のことでいっぱいいっぱいで、コンセプトを考える時間が全然取れなかったんですが、リアルでもnoteでも頭を殴られるような衝撃があったので記録したいと思います。


リアル世界の衝撃が何かというと

「あおさんって本気で生きたことないでしょ?」

という痛烈なボディーブローを食らったことでした。
「てめえ自分のこと何を知ってんだよ!?」って正直思ったけど、「本気で何かが欲しいとか評価して欲しいとか好かれたいとか、そう言う気持ちでがむしゃらに努力したことないでしょ?」と言い直されて、言葉に詰まってしまった。
前にも吐露しているように、自分は自分が傷つくのを異様に恐れている節があるので、無意識のうちに自分自身にセーブをかける癖がある。

本気でやってないなら仮に失敗したとしても「あれは本気じゃないから」って逃げられるからね。

最近ようやくその悪癖に向き合って少しずつ改善して行ってるところだけど、やっぱりというか他人には全然伝わらないもので、「それで本気で努力してると言うなら舐めてる、もっと死ぬ気でやれ」と言われて、図星なのもありぐぬぬ…となってしまった。


それでふと思ったんです、最近のコンセプト活動も疎かになってたなって。
忙しくて時間が作れない、のは事実だけど、その事実に逃げてるだけじゃないの?とぐるぐるしてたところに、noteのガールズの記事のある一文が刺さった。


記事内から引用させていただく。

コンセプトの最後に置くのは「職業」なんです。「概念」じゃダメなんです。
 だってファッションって、自分と外界の境界線ですもんね。自分がどうやって社会の中に存在したいかを表現するために「自問自答ファッション」を通じて、服を選ぶんですもんね。
 なら、その選んだ服には「他者との関わり」である「職業」が必須ですよね。(と、私は解釈しました。その方が、コンセプトを決めた後の行動に繋がりやすいからだと思います)

 実際、前述の「概念としての魔女」では、私には不足していました。魔女の暮らし(内)をイメージすることは容易かったけれど、魔女の人との関わり(外)を言葉として表すことができずに、私のコンセプト活動はゆるゆると停滞していました。
 考えること、日々の暮らし、などなど、内側のことは問題なく進んでいたので、手応えがなかった訳ではありません。ただ、突破力が少々足りませんでした。

この部分が一番頭殴られたところだった。
最初に仮のコンセプトを置いた時にこの「職業」のところがどうしても思い浮かばなくて(働きたくない気持ちが強すぎて)、自分が普段からよくしていることを職業に置き換えていたんだけど、これもある意味思考放棄という逃げだったな…と思った。だってそれは暗に頑張りたくないし今を変える気が更々ないとも言えるわけで。


『だってファッションって、自分と外界の境界線ですもんね。自分がどうやって社会の中に存在したいかを表現するために「自問自答ファッション」を通じて、服を選ぶんですもんね。
 なら、その選んだ服には「他者との関わり」である「職業」が必須ですよね。』


自分は今まで私服は「自分が着てテンション上がる服、自分が着て着心地のいい服、自分が着て自分のことが好きになれる服」という判断基準のみで選んでいたので、特にここの部分は頭を殴られたような衝撃だった。


「自分がどうやって社会の中に存在したいかを表現するためにファッションを選ぶ」
「他者と関わるためにファッションを選ぶ」

そのための自問自答ファッションだ、という意見を見て改めて「自分は今まで自分のことしか考えずに生きてきたんだな…」という、自分の幼稚さと社会性のなさに直面して、落ち込んだ。


何でもそうだけど、自分の行動基準って「自分がそれをして楽しいと思えるか、自分がそれを着て着心地がいいと感じるか」なんですよね。他者の評価は特段気にしてない、良くも悪くも。
同人活動で作品とかnoteの記事とか書いているけど、コメントとかいただくともちろん嬉しいけど、反応が仮になくてもこうやって勝手に自分で書く。書きたいから。
「他者から評価されるためにがむしゃらに頑張る」という思考回路自体が自分にはないんだと思う。バズるための計画を立てるとかができないタイプ。

人と関わる時も「誰かに好かれたいから、関係を持ちたいから」と策略立てて関係を作ろうとしたこともない。一応社会に属する人間なので、表面上ではそういう動きをすることはあるし、「人に好かれなれば生きていけない」とも思っているけど、実際のところ本心は自分のことが好きになろうが嫌いになろうが、それはその人の自由だから好きにすればいいんじゃないの?と思っている。お前なんか嫌いだ!と言われたら「あっそうなんですね分かりました」とフェードアウトしていく。もちろんその人の嫌がることはしないけど。端的に言うと人に対して興味がない。
この絵に描いたような社会性のなさよ…。

マズローの定義で言えば、ピラミッドの中段の「社会的欲求」「承認欲求」をすっ飛ばして「自己実現の欲求」を渇望している感じ?


そんな自分がコンセプトを考えるにあたって「外向きの視点を持って活動的に動く」という考えをインストールする必要がある、というのはかなりハードルが高いな…と思わずにはいられない。


コンセプトの部分の「職業」の部分に何を充てるのか、については実は最近見つけまして。

自分自身でも作品を作りたいし
人の作品も知りたいし
こういう考え方をする作家がいるんだよ!こんな作品があるんだよ!と自分自身が感じた面白さを人に知らせたいし
それで今までその世界を知らなかった人たちにも伝われば、豊かな生活に繋がれば幸せ


多分自分の理想の働き方は「コレ」なんですよね。

職業名で言えばマルチクリエイターであり
キュレーターであり
ギャラリストであるんですよ。


で、キュレーターやギャラリストに必須な能力って何か知ってます?

そう、コミュニケーション能力です

言ってしまえばアーティストと社会の間を繋いだり、アートをどう社会の中で価値を出していくのかという役割を担うのがキュレーターやギャラリストの仕事なので、審美眼や知識はもちろんなんですが、今風に言うと「バズらせるための戦略や人脈がある」「アーティストとも取引先とも打ち解けられるコミュ強」なんですよね。

自分に一番ないやつだよ……

自分の理想に絶望してるのマゾでしかないし最早ギャグでしょ。

何ならアーティストにもコミュニケーション能力は必須ですからね。
何となく世間では「自分の世界を表現する天才肌で世間との関わりは疎い」というのがアーティスト像になりがちだけど、大体そのタイプは人にも知られることなく、自分自身を破壊して終わるタイプのアーティストルートなので…。

目の絵画で有名なオディロン・ルドンも、作品の独特さ(不気味さ)ゆえに勝手に孤高の天才と言われがちだけど、ゴーギャンやボナールたちと交友関係もあったりと、普通に社交しているし、山田五郎さんの言葉を借りると「人付き合いなしで作品は残らない」


でもやっぱり自分のなりたい姿は「自分でも作品を作り、人の作品も広めて世界をもっと彩り豊かにする手伝いをするアーティスト兼キュレーター(ギャラリスト)」なんだよね…
理想を実現するには自分と向き合って努力しないといけない、というのは、こういうことなんですか…?と真剣に頭を抱えている…。

まずは自分の最大の課題は「真剣に人に興味を持つ」「社会性及びコミュニケーション能力を身につける」だな…。お前本当に30歳?みたいな幼稚な目標設定なのは自覚あります。でも仕方ないじゃない、それが自分なんだから。

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