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後悔したくないと選んだことがいまに繋がること

わたしは、24才から26才までの丸2年間。
東南アジアのラオスという国で生活をしていた。

中学2年のときに、
青年海外協力隊派遣というものを知り、
「将来20才になったら行こう!」と決めた。
何をどうしてどう行くか、なんてことは考えず、胸に秘めた。

そのときから10年が経っていた。
あるとき、毎日が疲弊困憊だった当時の職場で、
ふっと思い出した。
まさに、すっかり忘れていたことをふっと思い出した感覚だった。
「そうだった!そうだった!
 わたしは青年海外協力隊に行こうと思っていたんだ!
 しかも、わたしはもう20才を過ぎている!
 しかも、いまのわたしは専門分野もある!」と。

それから、ふつふつとその思いがくすぶりはじめた。
でも、すぐに仕事を辞めることはなく、
それから2年ほど働いたと思う。

それが、あるとき、会社の元先輩だった夫婦が古巣に遊びにきた。
誰からの信頼も厚く、前向きな姿勢とキャリアも含めて、
確実に発展の歩みを進めていたその先輩夫婦は、衝撃の決断を口にした。

「スペインに移住することにした」と。

え!!
なぜまた??いま??このタイミングで???
やりたい仕事をばりばりとこなしているいまここで??

「40とか過ぎたときに、
 そういえばスペインに住んでみたかったんだよなぁって
 振り返るのだけはしたくないから」

そう先輩は言った。
そして、あっと言う間に、住んでいた家を引き払い、
スペインへ旅立った。

そのとき、わたしの中の何かのスイッチが、
ぱちんっと音を立てた。

「わたしも、40才を過ぎてから、
 本当は青年海外協力隊に参加したかったんだよなぁ…なんて
 振り返りたくない!」
そう思ったときには、もう決めていた。
青年海外協力隊の試験に受かるかどうかなんてことではなく、
「行く」ということを決めていた。

そして試験に受かった。
おかしな話だけれども、受かると思っていた。変な確信があった。
二次試験の倍率でも20倍以上あった。
2名の枠だった。ラオスかエクアドルか。
そして、「もし行くとしたらどちらがいいですか?」と面接官が尋ねてくれて、
わたしは「ラオスがいいです。」と答えた。


あれから17年。
40才も過ぎた。
40才を過ぎたわたしにとって、ラオスに行ったことは、
とてもとても大きなターニングポイントとなった。
たくさんのあたりまえに気づき、
あたりまえである重要性を体験し、
自然とともに生きることを体験し、
自然の偉大さを体験し、
自然の摂理とか真理とか畏敬の念を体感した。
これまで、どれほどのあたりまえの勘違いをしていたのかに気づいた。

それは、ないものを補うことであることにするあたりまえではなく、
ないものはないと受け入れるあたりまえだった。
ないところにも、ないもの以外には、あるものがある。
そのことに、たぶん、初めて気づいたのだと思う。
なぜなら、いちいち驚き納得した。

そこには、『万事すべては問題ない』という視点があった。
(ラオス語だと『ボーペンニャン』とも言う)

20代前半のときに想像していた40才は、
なんだかとってもオトナで、落ち着いていて、地に足をつけて生きているようだった。
社会の中で、しっかりと役割があって、その役割を担って生きているように思っていた。
判断も選択もできて、何かを作りあげているように思っていた。
実際、自分が40才を過ぎてみて、
まだまだまだまだ若くって、
まだまだまだまだ伸びしろがあって、
まだまだまだまだ成長する、と感じている。
つまりは、思っていたほど完成形でない…
しかも、これから完成していくのかも定かではない…
日々いろいろな観念が書き換わる。

けれども、あのとき後悔したくないからと選んだ道は、
確かにいまのわたしを作っている。

そのことには自信をもって、
わたしはわたしを褒めてあげられそうだ。


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