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学び名のはなし

あるひとつのネイティブアメリカンの文化・叡知のなかで、
学び名、というものがある。

子どもが3つの冬を越したときに、
一族のなかでも、その子どもが学びとするひとびとがつける。
ひとりひとりはユニークだ。
ひとりひとりはユニークな学び方をもっている。
学び名をつけるだけのユニークさをその子どもがもったとき、
名づける。

わたしはずーっと前に、
日本で、学び名をつけてもらったことがある。
「ナマケモノの声をきく少女」
それが、そのときにもらった学び名。
経緯や込められたあれこれが、たくさんある。


ひとりひとりはユニークだ。

ユニーク。unique.
辞書を引くと、
特殊な・非凡な・独創的な・唯一無二・またとない…とある。

みんな同じ、ではない。その反対。
いま、わたしの娘が受けている学びでは、
個性が大切にされることが大きな前提としてある。

自分をユニークな存在として受け入れてもらえる安心感。

教師は、千里眼のように、いまここに映るひとりひとりの在りようのなかから、
その子の未来のちから、ユニークなちからにつながるもの、その姿を見る。

学び名こそつけないが、学び方から、その子の非凡な特性を認め、
芽をつぶすことがないように、尊重し畏敬の念とともに育てる。

あるネイティブアメリカンの文化のはなしと、
ドイツではじまった教育のはなし。

国や人種や文化に関わらず、
本当に大切なこと、その本質は同じなんだな、と気づき、
またひとつ、宇宙への信頼が増した。


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