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ふしぎな娘とのはなし

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Profile

たかはたあきこ 1979年1月18日生まれ。山羊座。 5才くらいの時、横断歩道を渡っていたら、車にはねられる。 頭を打って痛かったのだけれども、動揺激しい母と、 とんちんかんな質問をたくさんする看護師さんを前に、 頭が痛いと言ったら大変なことになると思って言えなかった。 そんな少し冷めた外からの視点を持つ子どもらしくない子ども時代を過ごす。 母方のおばあちゃんは第六感が敏感なひとだった。 手相や人相にも詳しくて、昔ながらの智慧を携えていた。 そんなおばあちゃんが大好きだ

魂はどこからきたのか?

娘10才は、 けっこうナチュラルに、 見えない世界との繋がりを 保っている子で。 たいてい、 朝早く、まだぼーっとしているときや、 夜、もう眠くて半分以上、意識が夢の国に行かけているとき、 とても興味深いことを話したりする。 意識が穏やかで平安で静かなとき、 なのだろうか。 つい最近も。 お風呂上がり。 (このタイミングは多い) 「たましいのひとつぶ」の話を娘が語っていて。 ↑そもそも、なんでそのような話になったのか… しばらくひとりで語っていて、 わたしは、うん、

教会へ行く

今年の初めころだっただろうか。 娘が「教会に行ってみたい」と言い出した。 きっかけは、本の中に出てきた「洗礼式」の様子。 わたし自身、高校生のときにアメリカでホームステイを1年ほどしていたことがあり、 そのときに、数えるほどだが、教会へ足を運んだことがある。 司祭さんから語られる話の内容は、 もちろん全て英語だったし、 理解には程遠かったが、 あたたかで、 参列している人たちの愛に満ち溢れている様子、 静謐な空間はとても好きだった。 しかしながら、 宗教のはなし、とな

ハイアーセルフといつもつながっている娘のはなし

朝の公園から、ぶらんこの帰り道。 わたしがぽつりと、 「ヘナをしに行きたいなぁ。  でも、駅の近くにあるかなぁ。」 とつぶやいた。 そしたら娘が言った。 『調べてみて、いくつかお店を紙に書き出してみたら?  それで、書いた名前の上を、ふたつずつ順番に指で触っていって、  どっちのお店が緩むかなぁってやるの。  最後に残ったところが合うところだし、  どこも緩まなかったら、ないってこと。』 !!! これ、以前わたしが娘に教えた、 自分のからだに合う野菜の見分け方!! (

9才が語る②「こころのとびら」と信頼のはなし

「パパは、ぽーんって開くと思う。  今はたくさん寝て、夢の国で学んでいるの。  今はまだ、こころのとびらは閉じているけれど、  ぽーんって開くよ。  ママはじんわり。  今これくらい。  あともう少しで、いっぱいに開く。」 9才娘の言葉。 確かに、夫はとてもよく寝ている。 大天使さんから言葉をもらってからの彼女は、 ここ最近ずっと「こころのとびら」が大きなテーマのようで、 常々よく話してくれる。 「ママにいいこと教えてあげる。  こころのとびらを開いていないと何もはじ

きみどりとシンクロとペリドット

ここ数ヶ月は、激動だった。 変化のスピードが速い、と言うのは、 すでにあちこちで耳にすることだ。 そして、気づけば、そのスピードはもれなくわたしのところにも。 今朝、朝ごはんを食べながら、娘が「ひとといろ」の話をしていた。 誰々は何色っぽいよね、という話は、ときどき話題になる。 学校で自分が何色っぽいと言われたか、という話の流れで、 〇〇先生は紫色だよね、 と、これまでも何度も互いの認識を確認してきたことを、また再確認。 そして、これまた、何度も確認してきたことだけれども

9才が語る「こころのとびらを開くこと」

娘とふたり、散歩の道すがらに、娘が話したこと。 いつも「それ」は突然くる。 わたしが、話が通じない夫のことを、 「夫(パパ)の言いたいことがわからない、言いたいならば言葉にしないと伝わらない!」とグチをぽろんとこぼしたら、 「こころのとびら」の話がはじまった。 「こころのとびらを開いて聴かないと入ってこないしね」 「聴こうとしないと入ってこない」と。 「とびらを開けていないと、言葉も外に出ていかない」と。 へぇ~ 娘はそういうふうに会話やコミュニケーションを理解している

娘の小児科と宇宙のはなし

昨年のこと。 11月末から激しい咳に悩まされていた当時小学3年の娘。 年末にやっと高熱を出せて、 咳もようやく治まりかけたと思っていた年明け。 またまた高熱を出し、激しい咳ふたたび。 咳が出ることや高熱が出ることに関しては、 「出る理由」があってのことだから、 全く心配はしていないのだけれども、 症状があまりに激しいと、さすがにどうにか和らげてあげたいと思い、 めったに行かない、でもかかりつけの病院へ行った。 娘の学校の校医もしてくださっている先生は、 おおらかであたた

娘が生まれたときの不思議な訪問者

娘がお腹にいたとき、 それはそれは、 これまで生きてきた中で、一番穏やかで幸せな時間だった。 もう、なんとも表現しようがないくらい、幸せに満たされていた。 なぜだか、女の子がやってくる、と思っていた。 わかっていた、というが近いかも。 一応、男の子の名前も考えたけれども、 どんなに考えても、画数を調べたり、意味を調べたりしても、 どれもこれもひとつとして、しっくりこなかった。 そして、女の子がやってきた。 退院して帰宅した翌朝。 まだ陽が昇らないくらいの時間。 布団で