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9才が語る「こころのとびらを開くこと」

娘とふたり、散歩の道すがらに、娘が話したこと。
いつも「それ」は突然くる。

わたしが、話が通じない夫のことを、
「夫(パパ)の言いたいことがわからない、言いたいならば言葉にしないと伝わらない!」とグチをぽろんとこぼしたら、
「こころのとびら」の話がはじまった。

「こころのとびらを開いて聴かないと入ってこないしね」
「聴こうとしないと入ってこない」と。
「とびらを開けていないと、言葉も外に出ていかない」と。

へぇ~
娘はそういうふうに会話やコミュニケーションを理解しているんだ。
感情的になるわたしなんかよりも、うんとしっかりものごとを捉えている…
感心した。

それで夜。お風呂のとき、
「今日のこころのとびらのはなし、もう一回して」とお願いしてみた。

「こころのとびらは、いつでも開いていないと、
 外から声がしても入っていかないの。聞こえない。
 ずっと閉じたままだと、とびらが一枚にくっついてしまって、
 それは、大天使さんにお願いして外からくっついてしまったとびらを、
 また開くように切ってもらわないと、開かないんだよ。(←夫のことだろうか?)」

そして、わたしがまた質問。
「じゃあ、どうしたらいいかなぁ?」
もう、9才の子を相手に、人生相談の域。

「それはね、夜寝る前に、まず目を閉じて、
 深呼吸を3回するの。
 それから、大天使さんに毎晩唱えたらいいことばを教えてくださいって
 お願いしたらいいよ。
 教えてくれるから。
 今日、寝る前に一緒にやってみよう!
 忘れないように書いておくのに、紙とえんぴつも用意しよう!」


お風呂から出て、布団の上で、それぞれ目を閉じて瞑想状態。
わたしは、正直、「それ」をいきなりここでどう求めていいのか、
少し戸惑いながらも、目を閉じて、浮かぶ余計なことを外へ流していく。
今日の娘は、ちょっと違う。
だから、従ってみようと。
寝る前のこんな時間なのに、いつもは半分以上寝ている意識なのに、
今日の娘は妙にクリアな意識でいる、気がする。

そして、わたしはけっこう早々に、それらしいメッセージを得た。

横を見ると、娘が、わたしに背を向けた状態で、何やら必死に書き留めている。

それが落ち着くと、お互いに得たメッセージ・唱えることばを教えあった。
まずわたし。
『このユニバースに、わたしは委ねます。』

そして娘。
「もう長くって、覚えるのがたいへんだったよー」とあたまをすり寄せてくる。
手にした紙には、びっしりとことばが並んでいる。

『わたしはどんなことがあってもこわくはない
 わたしのこころのとびらは、いつでもひらいていて、
 いつでもだれでもうけいれて
 わたしのまわりにあるものはひかりとあいだけです』

「このね、耳のすぐそばでね、大天使さんの声がしたんだよー」と言う娘。

わたしは、開いた口がふさがらない…
これはいったい…?
彼女は本当にその声を聞いて、書き留めだのだと思う。

9才の決心とも言えるこの珠玉のことばとそれを受け入れるこころに、
わたしはただただ、おどろきと畏敬の念を抱いた。

我が娘であり、もうすでに我が手の内には収まらない存在。




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