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ひとと大いなるものと宇宙のつながりのはなし

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#スピリット

大いなる生命の輪を歩く

「The Great Hoop of Life」(大いなる生命の輪)という、 ネイティブアメリカンの教えをもとにした学びがある。 ポーラ・アンダーウッドさんによる本が出されている。 わたし自身、ご縁があって、 その学びを歩く機会を 3歩進んで2歩くらい止まりつつ、 カメの歩みのように継続している。 その中で。 人生や日々の歩みを 北東南西の輪に置きかえてみると、 北から歩みを始めて 東を通り 南を過ぎ 西にやってきて また北に戻る 方角それぞれ、その中間にも 人生で起

わたしが宇宙人を受け入れることができたわけ

以前の投稿で 夫を宇宙人かもしれないと思ってみたはなしを綴った。 まわりのひとたちから 予想以上の大反響と祝福のことばをもらい 正直、苦節10年への苦笑いと、 ずっとずっと支えてきてくれたみんなへの愛と思い、 感動が溢れた。 さて。 どうして どうやって わたしが”宇宙人”を受け入れることができたのか。 それは、 宇宙人側には、なんの動きも変化もきっかけも、原因もない。 すべては、 わたしの中で起こったことだった。 本当に、本当に、本当に、 この10年苦しかった。

Profile

たかはたあきこ 1979年1月18日生まれ。山羊座。 5才くらいの時、横断歩道を渡っていたら、車にはねられる。 頭を打って痛かったのだけれども、動揺激しい母と、 とんちんかんな質問をたくさんする看護師さんを前に、 頭が痛いと言ったら大変なことになると思って言えなかった。 そんな少し冷めた外からの視点を持つ子どもらしくない子ども時代を過ごす。 母方のおばあちゃんは第六感が敏感なひとだった。 手相や人相にも詳しくて、昔ながらの智慧を携えていた。 そんなおばあちゃんが大好きだ

風がわたしに運ぶもの

ここ数日、風の強い日が続いている。 季節もよくて、日差しも暖かくて、寒くもなくて暑くもない。 この、どんなに強くても、 からだがぴたりと包まれてしまうような風に、 わたしは「好き」以上の、こころをわしづかみにされる何かをいつも感じる。 記憶のなかの、どこかにそのまま連れていかれそうになる。 初めて「風」をそんなふうに感じたのは、いまからずっとずっと前。 大切なともだちとニューヨークに滞在していたとき。 そのともだちとは、高校で出会った。 知っているひとが誰もいない、入学

フラがあったから生きてこられた

ずっと長いこと、フラダンスを習いたいと思っていた。 でも、以前の働き方だと、 毎週決まった曜日の決まった時間をレッスンのために空けておく、 というのが、わたしにはハードルが高くて、 そのために仕事を断ることはしたくないし、 かといって、レッスンを休むのも…となると、実現しなかった。 それが、どういうわけか、 娘がようちえんの年少さんのとき。 仕事よりも、育児に時間もエネルギーも注いでいたとき。 思い返せばわたしのこころと生活の暗黒時代(笑)。 フラのレッスンに通いはじめた。

信じることが目に映ること

久しぶりのともだちに会いに、久しぶりの場所を訪れた。 久しぶりの場所は、数年前まで毎週一回、 暑い日も、紅葉の季節も、極寒の日も通っていたところで、 小高いお山の上にあり、木が美しく茂り、緑豊かで、風がよく通り、 晴れた日は、穏やかできらきらした空気に包まれている。 もう、顔を見るだけで、心が緩むその仲間たちは、 笑ってしまうほどに、それぞれ、お互い、あるがままで、 芯があって、まっすぐで、愛に溢れて、 一生懸命に生きる姿は、ただただ美しい。 わたしは、ただ満ち足りてそ

9才のわたしが出逢った「いま」につながること

そして、9才のときのわたし。 1月生まれのわたしは、 4年生の大半を9才で過ごした。 2年生のときに、クラスに転入生がやってきて、 その子の影響で、 ガールスカウト活動を知った。 何度か体験に参加して、 3年生から実際に仲間に入りたかったのだけれども、 親が説明会のようなものに参加できずに、 もう一年先送りになった。 そして迎えた4年生。 家庭でもなく、学校でもない「組織」のひとりとして、 「わたし」という個人がそこにいる、ということが、 わたしを満たした。 とにか

ひとのアンテナのはなし②

ラオスから2年ぶりに帰国して、 行きたかった場所は、本屋さん。 書物や情報に飢えていた。 と、思い込んでいた。 焦っていたから。 2年間の空白に。 ラオスから帰国したら、 もうラオス人のような日本人ではなくて、 日本人としか見られないし、 日本人として生活していかなければならなかったから。 だから、なんでもある渋谷の大きな本屋さんに行った。 そしたら、道すがら、なんだかふらふら、ひととぶつかる。 おっと! おっと! そんなことばかり。 まっすぐ歩けてないのか、まっすぐし

ひとのアンテナのはなし

精神的にかなりまいってしまった20代前半。 逃げるように選んだ道は、 中学2年のときに決めていた道。 東南アジアのラオスという国の地方都市(美しい田舎町)で、 2年を過ごすことになった。 中学2年の夏、初めて訪れた外国が東南アジアのタイで、 大きなメコン川の向こうに見えた大地、 「あれはラオスという国だよ」 と一緒に行った誰かが教えてくれた。 その国で、暮らすことになるなんて、 もちろん当時は思ってもみなかった。 でも、つながっていたみたい。 わたしが暮らした町は、首

娘が生まれたときの不思議な訪問者

娘がお腹にいたとき、 それはそれは、 これまで生きてきた中で、一番穏やかで幸せな時間だった。 もう、なんとも表現しようがないくらい、幸せに満たされていた。 なぜだか、女の子がやってくる、と思っていた。 わかっていた、というが近いかも。 一応、男の子の名前も考えたけれども、 どんなに考えても、画数を調べたり、意味を調べたりしても、 どれもこれもひとつとして、しっくりこなかった。 そして、女の子がやってきた。 退院して帰宅した翌朝。 まだ陽が昇らないくらいの時間。 布団で

「魂を語ることを怖るることなかれ」

“Don’t be afraid to talk about the spirit.” この言葉は、わたしの原点かもしれない。 「魂を語ることを怖るることなかれ」 初めて聞いたのは、たぶん、20年前。 ネイティブアメリカン(ラコタ族)の伝統儀式を執り行うことを許された数少ない日本人の一人、 松木正さんのワークショップに参加したときのこと。 神話の語りの冒頭だったと記憶している。  よく伸びる通った声で、抑揚をつけて繰り返された、その言葉。 “Don’t be afrai