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すごくわくわくする本を読んだ。 娘がお世話になっている小児科(内科)の先生が書かれた本。 内容は深く深く もりだくさんだから、 わたしは語れないのだけれど。 (まだ全くかみ砕いて消化できていない) 「クプとギプと上手にかぜをひく子① 〜痛くない未来の注射〜」 山本忍/神之木クリニック院長 コロナウィルスを含む27のウィルスへのインタビュー。 ウィズコロナの時代に贈る書。 その本の中で、 「大いなるもの」と表現されていたところに、 カッコ書きで、 「覆いなるもの」
根拠のない自信 根拠のない安心感 それは、 なんだかわからないけれども、 わたしは大丈夫と思えること。 なにがあっても大丈夫と思えること。 「証拠」や「証明」「データ」や「数値」がないと納得してもらえない、 受け入れてもらえない、いまこの社会。 でも、 この「根拠のない」なんたるかが、 どれだけ自身を満たすものなのか、 これは感じているひとにしかわからない。 自分の外側に、 判断や評価を求めることなく、 わたしはわたしである、ということを わたしがなんの疑問もためらい
「パパは、ぽーんって開くと思う。 今はたくさん寝て、夢の国で学んでいるの。 今はまだ、こころのとびらは閉じているけれど、 ぽーんって開くよ。 ママはじんわり。 今これくらい。 あともう少しで、いっぱいに開く。」 9才娘の言葉。 確かに、夫はとてもよく寝ている。 大天使さんから言葉をもらってからの彼女は、 ここ最近ずっと「こころのとびら」が大きなテーマのようで、 常々よく話してくれる。 「ママにいいこと教えてあげる。 こころのとびらを開いていないと何もはじ
15才のときに、コンタクト生活をはじめた。 それから25年、ソフトレンズ→ハードレンズと、 コンタクトレンズありきの、 あたりまえの生活をしてきた。 朝起きると、まずコンタクト入れ、 夜お風呂に入る前にコンタクトを外す。 その日々の繰り返し。 それが、あるときから、 光やその反射が眩しくて眩しくて、 どうにも困った状況になった。 目の疲労も、頭痛もひどかった。 それでも、めがねという選択肢は浮かばなかった。 でも40才を迎えたとき、 ふいに、 もっと自分のこと・からだ
たかはたあきこ 1979年1月18日生まれ。山羊座。 5才くらいの時、横断歩道を渡っていたら、車にはねられる。 頭を打って痛かったのだけれども、動揺激しい母と、 とんちんかんな質問をたくさんする看護師さんを前に、 頭が痛いと言ったら大変なことになると思って言えなかった。 そんな少し冷めた外からの視点を持つ子どもらしくない子ども時代を過ごす。 母方のおばあちゃんは第六感が敏感なひとだった。 手相や人相にも詳しくて、昔ながらの智慧を携えていた。 そんなおばあちゃんが大好きだ
ほんの3ヶ月ほど前、桜が咲き始め、 自粛生活に入る直前に、 絶妙のタイミングで受けることができた 「アクセス・バーズ・プラクティショナー認定講座」。 ご縁がご縁につながり、素晴らしいタイミングのバトンがつながれて、 我が愛する「ふしぎな娘」と一緒に講座を受けることができた。 だから、わたしだけでなく、 娘も一緒に認定プラクティショナーとなった。 それからの日々が、思い返してみたら、結構すごかった。 自粛生活だったけれども、 わたしの内側は、すごい勢いで動いていた。 毎日
20才のときに、 16才~18才の高校生12人を引率して、3週間ほどメキシコへ行った。 国際的な組織の日本代表として参加する大規模なセッションだった。 引率者がいないために派遣が中止になると聞いて、 いてもたってもいられず志願した。 わたしも高校生のときに、同じ組織の派遣で、 イギリスに2週間ほど行かせてもらったことがあった。 だから、若者(わたしも十分に若かったけれど 笑)の希望を、 引率者がいないという大人の都合で、潰してしまうのは もったいないし、あってはならないと思