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ひとと大いなるものと宇宙のつながりのはなし

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#わたしがわたしであること

フラがあったから生きてこられた

ずっと長いこと、フラダンスを習いたいと思っていた。 でも、以前の働き方だと、 毎週決まった曜日の決まった時間をレッスンのために空けておく、 というのが、わたしにはハードルが高くて、 そのために仕事を断ることはしたくないし、 かといって、レッスンを休むのも…となると、実現しなかった。 それが、どういうわけか、 娘がようちえんの年少さんのとき。 仕事よりも、育児に時間もエネルギーも注いでいたとき。 思い返せばわたしのこころと生活の暗黒時代(笑)。 フラのレッスンに通いはじめた。

ひとのアンテナのはなし②

ラオスから2年ぶりに帰国して、 行きたかった場所は、本屋さん。 書物や情報に飢えていた。 と、思い込んでいた。 焦っていたから。 2年間の空白に。 ラオスから帰国したら、 もうラオス人のような日本人ではなくて、 日本人としか見られないし、 日本人として生活していかなければならなかったから。 だから、なんでもある渋谷の大きな本屋さんに行った。 そしたら、道すがら、なんだかふらふら、ひととぶつかる。 おっと! おっと! そんなことばかり。 まっすぐ歩けてないのか、まっすぐし

ひとのアンテナのはなし

精神的にかなりまいってしまった20代前半。 逃げるように選んだ道は、 中学2年のときに決めていた道。 東南アジアのラオスという国の地方都市(美しい田舎町)で、 2年を過ごすことになった。 中学2年の夏、初めて訪れた外国が東南アジアのタイで、 大きなメコン川の向こうに見えた大地、 「あれはラオスという国だよ」 と一緒に行った誰かが教えてくれた。 その国で、暮らすことになるなんて、 もちろん当時は思ってもみなかった。 でも、つながっていたみたい。 わたしが暮らした町は、首

娘が生まれたときの不思議な訪問者

娘がお腹にいたとき、 それはそれは、 これまで生きてきた中で、一番穏やかで幸せな時間だった。 もう、なんとも表現しようがないくらい、幸せに満たされていた。 なぜだか、女の子がやってくる、と思っていた。 わかっていた、というが近いかも。 一応、男の子の名前も考えたけれども、 どんなに考えても、画数を調べたり、意味を調べたりしても、 どれもこれもひとつとして、しっくりこなかった。 そして、女の子がやってきた。 退院して帰宅した翌朝。 まだ陽が昇らないくらいの時間。 布団で

「魂を語ることを怖るることなかれ」

“Don’t be afraid to talk about the spirit.” この言葉は、わたしの原点かもしれない。 「魂を語ることを怖るることなかれ」 初めて聞いたのは、たぶん、20年前。 ネイティブアメリカン(ラコタ族)の伝統儀式を執り行うことを許された数少ない日本人の一人、 松木正さんのワークショップに参加したときのこと。 神話の語りの冒頭だったと記憶している。  よく伸びる通った声で、抑揚をつけて繰り返された、その言葉。 “Don’t be afrai