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しろい月が見えない


 ノミ事件があった時にキャットタワーも処分したので、新しいものを買った。それがやっと届いたので、妹と協力しあって組み立てた。なかなか大きいものを買ったようだったのでとても苦戦した。想像の1.5倍は大きかったな。タワーの高さが一番高いところで170センチだと説明書にはあったが、ちょうど170センチの私をゆうに超えており、どうみても175センチ以上だった。

 当の本人(猫)は我々人間どもが汗だくになりつつ必死に組み立ているところに興味津々な様子でやってきたかと思ったら、爪研ぎしてみたりまだ出来上がってもいないのに登ってみたりと自由に私たちの邪魔をし、飽きたらキャットタワーが入っていたダンボールの中に入って横たわっていた。完成したらしたですぐに登るかと思いきやしばらく様子をみたのちにてっぺんで寝ていた。旧キャットタワーは寝るところの広さがちょうど良かったのに対し、今回のは気持ち狭くて、いや、結構狭くて、ぎゅうぎゅう、いや、はみ出している。お尻とか足とか頭とか。


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 どうみても窮屈である。(これはブラッシングの様子)

 猫にとって狭いところに入るのは苦ではないとは聞いているが、流石に収まりが悪いような気がしている。まあ本人(猫)が嫌がってなければいい。


 ノミはまだいるのだけれど、だいぶん駆除できた。体についているものが駆除できたとしても、カーペット等の室内に既にいるものが戻ってきている可能性もある。終わりなき戦いがまだ続くと思うけど、少しでも快適に過ごしてもらいたい。


 夜は心の危機回避のためにドライブをして、スタバで過ごした。少し前に、レシートで当たりをもらったので(100枚に1枚くらいの珍しさらしいけど)好きなトールサイズのドリンクをタダで注文できた。スタッフさんに、せっかくだからカスタムいかがですか、と勧められたので、ミルクをソイに変えたりホイップ追加したりした。ほうじ茶ラテが好きで、ここ最近はそればかりである。

 雑念というか、心の荒みようがすごくて、どうにか風を通したくて、かといってカラマーゾフもプルーストも読む気にはなれず、今はとにかく心に何かガーゼみたいなものを被せてしまいたいという気持ちに駆られて、読んだのがハン・ガンさんの『すべての、白いものたちの』だった。


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 白いものについて書こうと決めた。春。そのとき私が最初にやったのは、目録を作ることだった。
 おくるみ うぶぎ しお ゆき こおり つき こめ なみ はくもくれん しろいとり しろくわらう はくし しろいいぬ はくはつ 壽衣
 単語を一つ書きとめるたび、不思議に胸がさわいだ。この本を必ず完成させたい。これを書く時間の中で、何かを変えることができそうだと思った。傷口に塗る白い軟膏と、そこにかぶせる白いガーゼのようなものが私には必要だったのだと。                     (本文より引用)


 最初のページから、心がぎゅっとなって、もうとっくに涙が出そうになって、震えていることを感じ取っていた。傷口に軟膏が必要なのは私も同じだなと思いつつ読み進めていると、やっぱり苦しくて、何度も何度も涙を堪えて読んだ。たまたま周りにお客さんがいなくてよかったと、涙を十分堪えてから思った。

 ハン・ガンさんの作品を読んだのはこの本が最初だった。読めば読むほど文字も心も静かになっていくってあるんだなあ、と思ったのを覚えている。たくさん泣いたのも覚えている。

『しなないで しなないでおねがい』というフレーズが今まで何度も何度も、ふとした時に過ぎっている。読み返すたびに心が苦しくなるけれど、あえて傷口を風に晒して、冷たい水で洗って、消毒して、軟膏を塗って、ガーゼを被せてやる。

 今日だってそうだ。優しくて、寂しくて、切なくて、孤独だと思う。失うことは悲しいと思う、そんな感情とともに生きている。日常は続くし、失ったものは永遠に失い続ける。

  

 元気が出る物語を読むよりも、あえて苦しくなる物語を読む方がかえって自分には慰めになる。今日はそういう日。そういう夜。


 今夜は星は見えない。風が冷たい。

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