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何度だって生まれ変われるギターの音色


 昨日は日記を書かずに短歌を詠んだ。まるでリハビリだな…と思いつつ自分の真ん中を覗いていた。取り戻せる気がするよ。少しずつだけど。自分を追い込むことをよしとする。


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 午前中は吉田篤弘の『空ばかり見ていた』を読了して心地よい読了感に浸っていた。『月とコーヒー』も『あること、ないこと』も、月舟町シリーズも、とにかく読了後の余韻が柔らかくて穏やか。ささくれていたであろう心が、ほぐされたんだとわかる。嫌な気持ちにならないし、寂しい気持ちにもならない。単調な日常を描いているはずなのに、飽きない。時々魔法のような、不思議な出来事があるからだと思う。そこがまた好きなところ。次は何読もうかな〜。新作で出ている『それでも世界は回っている』や『チョコレートガール探偵譚』が気になるところ。



 先日、故障したギターの部品を取り寄せてもらった楽器屋さんから、予定より早く部品が届いたのでいつでもどうぞ、と連絡が来た、週末に行くと返事をして電話を切ったが、やっぱりもっと早めに行こうと思いかけ直した。平日は今日のみ担当の人がいると言われたので、じゃあ行きますと言い、すぐ用意して向かった。


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 久々にギターケースを担いで歩くと、重くて驚いた。こんなに重かったっけ。路上ライブをしていた時はこの重さプラス譜面台や譜面を持ち歩いていたのか。強かったんだなあの頃の私。肩に担ぐとベルトがぎっちり食い込んで痛いし、そこらかしにぶつけないようにしてたが自分の車にはぶつけた。(特に異常はなかったが)

 久々の楽器店はお客さんもほとんどいなくて、有線の音楽が降って来ていて、時々電話が鳴り応対する店員さんの声が微かに耳に届くくらいで、人の話し声がほとんどなく静かだった。店員さんも知っている人は既にいなくなっているし、店内のレイアウトも大幅に変わっているしで、私が知っている店じゃなくなっていて、みょうに緊張してしまった。変な汗をかいた。背中やこめかみがじっとりした。マスクに汗が滲んでないか不安だった。

 ただ、担当の店員さんは明るくて爽やかな人だった。それで少し安心した。ギターを渡すと、約20分ほどで終わりますと言われたのでその間店内をぐるぐる見て回った。

 ピンからキリまで値段のついたギターがぎっしり壁に飾られていた。ボディが照明を浴びて蜜のように照っていて美しかった。Martin、Yairi 、YAMAHA、その他いろんなメーカーがあり、修理に出しているギターを買った時も、何十分もこうして順繰りに眺めて、どのメーカーのものにするか悩んだことを思い出した。ピックひとつ選ぶのにも、薄さやら形やらで悩んだ。(ティアドロップが好き)記憶が呼び起こされると共に懐かしさのおかげで居心地の悪さは消えていった。


 予定通りの時間で修理が完成した。なぜ故障したかはわからないけれど、衝撃がないとペグボタンは割れないとのこと。倒した記憶はないので謎に包まれてしまったが、とにかく直って一安心した。ネックも順反りしていたのでそれも直してあります、とさらっと言われた。なんて優しい。やっぱり今日修理に出してよかったな。満足感に厚みがある。

 取り替えたパーツは記念にどうぞと言われて受け取った。元私のギターだったペグ。いつかギターの形見になるかもしれないので、大事に取っておこうと思う。

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(ちなみにこれは4弦と6弦のもの。)


 帰ってすぐギターを弾いた。ワンストロークの響きがさざなみのように広がっていくのがわかった。部屋の隅々まで行き渡っていった。ギター自身も生まれ変わったような気持ちなのかもしれない。いくらでも鳴らせますよ、と言わんばかりの音張りの良さだった。満足。


 常に動きゆくものに目をやり過ぎて、心に覆いを被せてしまい、自分の心が見づらくなっていたんだな、と気づいた日。目に見えているたくさんの人の楽しげな姿や声や文字や音楽に触れることも良いことだけれど、流れるプールのようなものだ。タイミングを見計らわないと縁にすら辿り着けなくなる。流れに身を任せてまわり続け、楽しい楽しい、の中で居続けていると、我にかえった時にはひとりぼっちだと気づいてしまうのだ。

 自分が楽しいことをすること。やりたいこと、やるべきことをすること。いちばんに満たすのは私の心なのだから。




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