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【短編小説】好き帯び運転

昔好きだった女が、今俺の隣にいる。

助手席に座る松田美緒は、火照った顔で、前方を眺めている。
窓の外には、国道246号線の景色が流れる。

今晩開かれた高校の同窓会で7年ぶりに再会した松田美緒は、あの頃よりもずっと美人になっていた。
松田美緒は、高校時代、自分が初めて本気で好きになった女だ。
高校生の頃から大人びた雰囲気を持っており、ストレートの長い黒髪と鼻の高さが際立っていた。

高校入学したての頃、松田美緒とは同じクラスで席が近かったので、よく話す仲だった。
てっきり両想いだと思い込み、夏休みの前に告白したが、あっけなく振られ、それ以降は距離を置かれていた。
松田美緒のことを最後に見たのは高校卒業式だったが、そのときはろくに言葉を交わすこともなく、彼女とはそれっきり会うこともなかった。

今日は7年ぶりに松田美緒に会ったわけだが、同窓会では、彼女はよく飲み、よく笑った。
高校時代のあの気まずさが嘘だったかのように、俺に対して明るく振舞ってきた。

同窓会が解散になるとき、松田美緒は、酔ってフラつきながら俺の肩に手をかけ、「ねえ、車で来てるんだよね?送ってってくれない?」と甘えてきた。
断るわけがなかった。

車に乗り込むと、松田美緒は、「ねえ、よかったらウチ来ない?」と誘ってきた。
俺は、上擦りそうになる声を必死に抑えながら、「じゃあ行く」と答えた。

夢みたいな展開だった。
あれほどまでに惚れ込み、手に入れたいと望んだ女が、俺の車の助手席に座っていて、俺を誘っている。

俺は興奮を抑えるのに苦労した。ハンドルを握る手にもつい力が入る。
時刻は、夜中の12時を過ぎていた。

その後、突然見慣れない風景が目に映るようになり、車が不規則に揺れるようになった。
舗装されたアスファルトの道路が消えて、知らぬ間に砂利道を走っていた。

おかしいな、道を間違えたか。
同窓会が行われた赤坂エリアを出て、246を下り、桜新町にある松田美緒のマンションに行くだけの単純な道だったはずが、気が付けば、森の中の小道を走っていた。
左右には木々が生い茂り、辺り周辺に街灯はなく、車のヘッドライトだけが小道を照らしている。

どうやら道に迷ったようだ。
冷や汗が、額から顔中を伝っていく。

どうやったら元の道に戻れるのだろうか。
松田美緒の前で格好悪い姿を見せるわけにいかず、自力で解決したかったが、さすがに不安になって助手席に目をやった。
それまで酔った表情でうっとり外を眺めていた松田美緒は、急に真顔になって運転席の方に顔を向けると、俺のことを真っ直ぐ見つめながら、「これで合ってるよ。近道なの。このまま森を抜けて」と言った。
俺は不思議に思ったが、松田美緒に言われた通り、そのまま進んでいった。

すると、斜め右前に警察官が手を上げて立っているのが見えた。
こんな森の小道に、不釣り合いな組み合わせだった。
その警官が止まるように指示してきたので、俺は警官のすぐ横に停車して、運転席の窓を開けた。

「すいませーん、検問です。最近この辺りでは、交通違反が多くてね。取り締まってるんです」警官は、淡々と言った。

こんなところで、こんな時間に、検問か。
松田美緒との夢のひとときを、邪魔してくれるなよ。
俺は、間の悪い警官を恨んだ。

だが、警官を相手に、無視するわけにもいかない。
どうせ飲酒運転の取り締まりだろう。こんなものはとっととパスして、俺は松田美緒の家に行くんだ。
俺は警官の指示に従って、おとなしく呼気検査を受けた。

警官が呼気検査の結果を見て、「ああ、これはダメですね」と言った。

俺は驚き、咄嗟に反論した。
「いやいや、酒飲んでないよ。そもそも俺、お酒なんか一滴も飲めないんだから」

警官は「いや、好き帯びです」と言った。

「好き帯び?」聞き慣れない言葉に、俺は耳を疑った。

「はい、好き帯び運転です」

「好き帯び運転?酒気帯び運転なら聞いたことあるけど」

「好き帯び運転は、立派な法律違反です、一旦降りてもらえますか?」

「いやいや、わけわかんないよ。好き帯び運転ってなんだよ」

警官への口調に、つい怒気がこもる。
松田美緒の手前、警官に目を付けられては恰好がつかない。
そもそもこいつ、松田美緒の前で、「好き」なんて言葉を使ってくれるなよ。
おれは昔、それを伝えて松田美緒に振られたんだ。

警官は淡々と続ける。
「好き帯び運転、知りませんか?新しい法律ができたんです」

「はあ?知らないよ、そんなの」

「好きを帯びてると、かっこつけるでしょ。だから、危ないんです。実際、好き帯び運転による事故が急増してるんですから」

「なんだそれ、そんな馬鹿な話があるか」

「あなたの呼気が好きを帯びていること、これは明白なんです。あなた、助手席の女性に惚れていますよね?」

俺は、その質問には答えなかった。
恥ずかしさと焦りでどうにかなってしまいそうだった。
混乱する頭で、この場をどう乗り切るかを必死に考えている。
松田美緒がどんな表情でどんな気持ちでこのやりとりを見ているのか、それが気がかりで仕方なかったが、恥ずかしさで助手席に目を向けることができない。

警官は、尚も続ける。
「酒気帯び運転の場合、処罰の対象になるのは、呼気1リットルにつき0.15ミリグラム以上のアルコールが検知されたときです。好き帯び運転だと、1リットルにつき10スキ以上で処罰の対象になります。あなたの呼気からは、100スキ以上が確認されました。これは、とんでもない量です。重罪となります」

100スキ?重罪?
こいつ、何を言ってやがるんだ。

俺は、そこで気が付いた。
こいつは、本物の警官ではない。
よく見れば、服装も少し違う。
ニセ者に違いなかった。

ニセ警官は続ける。
「一旦車から降りて、こっちに来てください」

こいつのことは振り切って、すぐにこの森を抜けるべきだ。
でないと、絶対に良からぬことが起こる。

そう思ってアクセルを踏み込もうとして前を見たとき、視界の左端に違和感を感じた。
違和感の正体は、助手席だった。助手席に、松田美緒の姿がなかった。
気が動転し、全身が膠着した。

松田美緒は、いつの間にか、車を降りたのか?
俺は、助手席の窓から左奥の方に目をやる。
だが、松田美緒がいるようには見えないし、そもそも暗くて視界が悪い。

すると、ニセ警官が運転席のドアを無理やりこじ開けて、俺を引きずり下ろした。
抵抗もむなしく、俺は砂利道に、肩から崩れ落ちた。
弾みで上を見上げたときに、夜空にくっきりと満月が浮かんでいるのが見えた。

その瞬間、人のものとは思えない、うめき声が聞こえた。
思わず全身が震えた。

これは、獣の咆哮か?
複数の影が、森の中から姿を現した。
声の主は、狼だった。
それも1匹では済まない。明らかに10匹以上の狼がそこにいた。
狼の群れが、ゆっくりと俺に近づいてくる。

「助けて!」

俺はニセ警官に向けて叫んだが、数秒前まで確かにそこにいたニセ警官の姿が、いつの間にか消えていた。
狼の群れは、一切の迷いもなく、俺を目掛けて襲ってきた。
俺は、人生終わったと思った。

そのときだった。

リリリリリリリリ。
不快な音で、目が覚めた。

耳障りな音が消えたあと、静寂の中で、俺は混乱に包まれる。
数秒すると我を取り戻し、あたりを見渡して、ここが自分の家であることを知る。

奇妙な検問が現実の世界でなかったことに、大きく安堵した。

その直後、嫌な予感がした。
そして、その嫌な予感は的中する。

俺の股間周りが濡れている。
ベッドのシーツは、臭気を帯びていた。


おわり

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