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お笑いの魅力を伝えようとして撃沈した話

僕はお笑いが好きだ。

日本のお笑いの面白さは異常である。
海外のコメディを観ることもあるが、腹がよじれるほど笑うのは、日本のお笑いを置いて他にない。

さて、こんな入り方をしたが、今日書きたいのは、日本と海外のお笑い文化の違いではない。
今日は、昔お笑いの魅力を友達に伝えようとして撃沈したときの話をしたい。
それはそれは、僕にとってほろ苦い記憶であり、その後何年もそのときのショックを引きずることになった、ある出来事だ。

あれは20年ぐらい前、僕がまだ小学校高学年だった頃。

僕の幼馴染であるKくんが、彼のお母さんと一緒に大阪から横浜まで遊びに来ることになった。
僕は幼少期を大阪で過ごしていたのだが、Kくん親子はそのときのご近所さんだった。

Kくんが僕の家に来ることになり、どうしたら一緒に楽しく遊べるかと小学生ながらに必死で考えた。
そこで思いついたアイデアが、爆笑オンエアバトルを録画したビデオをKくんに見せることだった。

オンエアバトル、通称オンバトは当時NHKで深夜にやっていたネタ番組で、数多の実力派芸人達が漫才やコントを毎週披露していた。
今でこそM1グランプリのような日本を代表する漫才の大会があるが(これはコントの大会であるキングオブコントも然りだが)、あの頃、2000年頃はネタをただただ披露する番組なんて、オンバトの他になかった。
2003年にエンタの神様の放送が始まり、それで一気に世間に知られるようになった芸人が増えたように思うが、それまでは、芸人のネタを見るならオンバトぐらいしかなかった。

2000年前後のオンバトには、ますだおかだ、おぎやはぎ、アンタッチャブル、タカアンドトシ、NON STYLE等、数年後にM1で頭角を現す猛者どもがひしめき合っていた。
テツアンドトモやダンディ坂野のような、一芸を引っ提げて一世を風靡することになる芸人たちも、オンバトで知った。

話をもとに戻そう。
小学校高学年の僕は、このオンバトのチャンピオン大会のビデオをKくんに見せれば絶対に盛り上がると確信を持っていた。
だって、タカアンドトシの掛け合いを見て笑わない人なんて、この世にいるわけないもの。

Kくん親子の到着後。
リビングで母親同士がお茶を飲み始めると、僕はKくんを別室に連れていき、テレビにオンバトと書いたシールの貼ってあるVHSを差し込み、「これめっちゃ面白いよ!一緒に観よ!」と言い、オンバトのビデオを流した。

ビデオは全体で2時間前後あったが、僕はオススメの芸人だけを見せるつもりで、それなら1時間以内に見終わるかなというイメージでいたのだが、ビデオを流し始めてから1分も経っていないようなタイミングで事件は起こった。それはまだ1組目がネタに入る前だった。

Kくんが、衝撃的な発言をしたのだ。

「これおもんない。ゲームないん?ゲームやろ」





これおもんない





これおもんない






これおもんない







まだネタも見てないのに?!




僕はショックだった。

こんなことってあるのか。

お笑いを、そしてお笑い好きな僕を、全否定されたような気分だった。

あまりのショックにその場で倒れそうになったが、何とか気を持ち直し、僕はまず、一粘りしてみた。

僕「まあ、僕のオススメの芸人だけでも見てみたら?」

K「いや、ゲームやろうや。リビングの近くに色々あったやろ。もうこの部屋出よ」

僕「ああ、まあ、◯¢£%#&□△◆■×◯」

あえなく撃沈した。

僕はしどろもどろになりながら、Kくんと一緒に部屋を出た。

母親たちがいるリビングの隣のスペースでKくんはテレビゲームを物色するも、気に入ったソフトがなかったようだった。
やりたいゲームがなく、Kくんが明らかに不満そうだった。
ちなみに当時我が家には、テレビゲームといえば、ハードはプレステのみしかなく、ソフトは桃太郎電鉄と古いサッカーゲームと犬を育てるだけの謎ゲームの3本のみしかなかった。
ゲーム好きの同世代の子どもからしたら、手持ちのソフトが少な過ぎたと思う。

当時の僕は、通っていた小学校の同級生たちの家に行ったときには、大乱闘スマッシュブラザーズや最新のウイニング・イレブン、太鼓の達人等をそれなりに嗜んでいたが、自分の家ではテレビゲームは殆どやっていなかった。僕はそこまでゲーム欲がなかった。友達の家でも、友達に合わせてそれとなくやっていただけだと思う。

さて、たいしたテレビゲームが家になく、困ったKくんと僕。
結局、テレビゲームではないが、家に小さい「エアホッケー」のゲーム機があったので、それを2人でやった。
そのエアホッケーは、ちょうど機内持ち込みできるスーツケースぐらいのサイズで、ゲーム機の床から自動で出るエアに乗せて、パックをマレットで打ち合うというもの。
それなりに面白く白熱する。が、そこまで尺は持たない。
Kくんは、これにもすぐ飽きた。
Kくんは、口にこそ出さなかったものの、僕に対してきっとこう思ったはず。
「こいつんち、ゲームもおもんないな」

エアホッケーの後どうやって時間を潰したのか、僕は覚えていない。
覚えているのは、この日Kくんが終始つまらなそうな顔をしていたということだ。
僕はといえば、オンバトを見せようとして「おもんない」と言われたときから、心はもう死んでいた。
「Kくん、早く帰ってくれないか」とずっと思っていた。
Kくんが帰ったときに、とても安心したのを未だに覚えている。

これがオンバト事件であり、小学校の頃の僕のほろ苦い記憶だ。
今振り返ればなんてことはないのだが、当時の僕にとっては、この出来事はかなりショッキングだった。

僕はこの日、決して泣いたりしていないはずだ。
子ども時代には、大泣きするほどの嫌な体験も、思い返せば多々あった。
それに比べてこのオンバト事件は、僕は泣いてなどいないのに、それなのになぜか、強烈な体験として何度も鮮明に思い出される。

お笑いのことを考えていると、僕はふとこの日のことを思い出すことがある。
全くわかってもらえなかったな、変な空気だったな、辛くて気まずい一日だったなと。

子ども時代の僕は、「Kくんはなぜこのお笑いの良さがわからないのか、ゲームに頭が汚染されて、なんてヤワなヤツなのか、そもそも人さまの家でのあの態度はなんだ、なんて失礼なヤツだ」なんて思い、Kくんが悪いものと一方的に決めつけていた。

でも、大人になった今ならわかる。
おかしかったのはKくんではなく、僕の方だと。
変わった趣味をKくんに押し付けて、変な空気にしたのはきっと僕だ。

Kくんは当時の小学生らしく、ゲーム大好きで、周囲に気を遣わず、正直に生きていたと思う。
相手に伝えるか伝えないかは置いておいて、「これおもんない」と感じることは自分だってよくある。例えば、友人の家にお邪魔したときに、家主がファンだからといって、自分の興味のないバンドのライブ映像なんて家主に無理やり見せられても、退屈で仕方がない。それと同じことだ。

子ども時代の僕はこういう整理をできなかったが、ただそれでも、「好きなものをゴリ押しすると、とんでもない空気になる」というのは肌感覚として当時学んでいたのだと思う。
あの思いをまたしないようにという考えからか、この事件を境に、それまで以上に相手に合わせたり相手の顔色を伺ったりするようになった。
良くも悪くも、僕はこのオンバト事件を経て、一つ大人になったのだ。


おわり

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