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母は椅子に座る

※当初は曜日を決めて投稿していく予定だったのですが、どうしても無理な日もありそうなので、今後は投稿できるときに投稿します。大体週に二度程度のペースになるかと思います。どうぞよろしくお願い致します。

 先日実家を訪ねたとき、母が唐突にこんなことを言った。
「最近、椅子に座りに行ってるんだ」
 これでは何のことか分からなかったが、母の言葉がパーツ不足なのは今に始まったことじゃない。私は落ち着いて質問した。
「何それ?」
「○○(※ドラッグストア名)に電気の椅子が置いてあるんだよ。そこに座ると病気にならないんだって」
 唖然とした。
「は? 馬鹿じゃないの? そんなのあるわけないじゃん」
 そう言った後、少しずつ身体が震えてくるのを感じた。私の内側で悲憤が増幅し、今にも爆発しそうになったとき、母は追撃するかのようにへらりと笑った。
「あれに座ると調子が良くなるんだよ」
 そんなわけねーべよ。
 私はそう言いたかったけれど、何だかもう無理だと思い、口を噤んだ。

 母はただでさえ新宗教の熱心な信者で、朝夕の祈願はもとより、教会へも週に複数回通っているのだ。元は信者でなかった父も、結婚後に母に付き合う形で入信した。姉と私も生まれて間もなく入信したらしい。私たちの意思などお構いなしだ。
 宗教はタダじゃない。だから母含め、家族全員分の年会費が長年支払われ続けている。母は結婚後のほとんどを専業主婦として過ごしてきたから、当然そんなお金は捻出できない。つまり父がずっと支払い続けているということになる。
 宗教に関し、私が最初に違和感を覚えたのは小学一年生の頃だった。両親に連れられて敷居を跨いだ教会で、「勉強会」なるものが開かれ、私たちはそこに参加することになった。
 学校の教室ほどの広さの室内にはパイプ椅子が敷き詰められ、正面にはブラウン管の小さなテレビが設置されていた。その画面には、おそろしく低画質の、ほとんど白黒に近い、低彩度の映像が流れていた。そこでは男の人が低くうねるような声で何かを語っていた。何を言っているのか私にはさっぱり分からなかったけれど、その語りを、母含めた周囲の大人たちが必死にメモしていた。メモ帳やノートにペンを走らせる大人たち。時折大きく頷き、感嘆し、一言も聞き漏らすまいとする大人たち。その光景に薄気味悪さを感じたことを、今でも覚えている。最後まではとてもいられなくて、姉を誘ってそっと部屋を出た。私たちのように「飽きてしまった」子どもは、休憩室のようなところで休憩することができた。

 時は移ろい、私が車を運転できるようになると、母は買い物ついでに私を教会へ連れて行くよう頼むようになった。
「あんたもたまには祈願しなさい」
 その言葉に根負けして、冷たすぎる床に正座して手を合わせたことも何度かある。
 けれど、あるときを境に完全に辞めた。
 私は二十一歳の頃、自殺未遂をして七ヶ月間休職したことがある。四十五キロあった体重が三十二キロまで減った。突き出た骨が浴槽に当たるのが痛いので、お風呂に入るのも辛かった。一歩歩くのも、車のハンドルを握るのも辛かった。体重は減ったのに全身が重たく、息がひどくしにくかった。そんな私を母は慮ってくれた。それがありがたかった。
 でも母は、私に教会に行くように言った。私は母を助手席に乗せ、その通りにした。母は私を職員さんの元まで連れていき、私について「鬱っぽくなっちゃって」とシンプルに説明した。もちろんそこは心療内科でも精神科でもなかったから、そんなことを言ったところで職員さんがどうにかしてくれるわけではない。私はちゃんと心療内科に通い、カウンセリングで話をし、薬を飲んでいた。だから母の行いは全くの的外れだった。
 心配そうに私を見つめる職員さんに対し、母は「ビデオを見せてください」とか、そんなことを言った。私は頭が上手く回らず、母が何を目論んでいるのかちっとも分からなかった。
 職員さんは穏やかな微笑みを湛え、視聴覚室みたいな部屋に私たちを案内した。パイプ椅子よりは座り心地の良い椅子に座らされるや否や、職員さんはリモコンを薄型テレビに向けた。そこで嫌な予感がした。予感通り、ビデオが始まった。昔より高画質だけれど、一人の男の人が何事かを説いている、嫌なビデオ。私は「帰る」と言って立ち上がり、部屋を出た。母は憤慨したようだったし、職員さんも困惑していたが、関係なかった。もうここには絶対に来ない。そう心に誓った。帰宅後、母から「これを読みなさい」と渡されたのはその宗教のテキストだった。母はそれを毎日繰り返し読んでいるため、表紙もページもボロボロになっている。私はもちろん断った。けれど押しつけられ、受け取った。受け取っただけで、表紙を捲りもしなかった。
 心身が回復し、復職し、しばらく経ったとき、私は家を出ることを決めた。最初は姉と二人暮らしをしたのだが、すぐに上手くいかなくなり、結局一人で暮らすことになった。
 自立したとはいえ、私の住居と実家間は徒歩圏内で、せいぜい一キロ程度しか離れていない。週に一度ほど、母は私に食べ物を持って来る。そのタッパーを洗って返さなければならないので、私も週に一度ほど、実家に行く。電話も週に一度か二度ほどかかってくる。顔を合わせる度、声を交わす度、母は絶対に「教会に行きなさいよ」と言う。これは必ずだ。例外はない。
 私は母の信仰心を認めた上で、自分自身が無宗教であることを幾度も主張した。けれど火に油を注ぐような形になってしまった。
 母は叫ぶように言った。
「信じるとか信じないとかじゃないんだよ。行くの。行かなきゃ駄目なの」
 信じるとか信じないとかじゃない、というのがちょっと面白かったけれど、本当は面白がっている場合じゃない。母は全ての結果が宗教に起因すると信じきっているのだ。私が「最近調子がいいんだ」と漏らしでもすれば、「私が毎日拝んであげてるから」と言うし、逆に、私がコロナやインフルにかかったときは「あんたが教会に行かないから」と詰る。それに対し私がため息をつけば、母は激昂する。そうなることは分かっているのだから私も無反応を貫けば良いものを、どうしても火に油を注ぐのをやめられない。

 ドラッグストアの椅子の話が降りかかってきたのは、私がいい加減摩耗してきたときだった。
 私は冷静になろうとして、その場にいた父を見た。助けを求めたかった。父はただ薄く笑っていた。
「何とか言ってよ」
 と私が言っても、
「まあまあ」
 と言うだけだった。まあまあって、お前はオードリーの春日かよ。
「ねえ、何で止めないの? こんなの絶対嘘って分かるじゃん、ありえないんだよ。健康になれる椅子なんてあるわけない。悪徳商法なんだよ」
 姉に顔を向けても、
「まあまあ」
 と返ってくるだけだった。まあまあまあまあ。お前はオードリーの春日かよ。
 私は憤慨し、家を後にしようとした。この人たちとは会話にならないと思った。もしくは私の頭がおかしいのだろうか? 何にせよ、ここにいては駄目だと思った。
 踵を返した私の背中に、母の声が降りかかってくる。
「週末は教会に行きなさいよ」
 私は頑張って「はいはい」と答えた。本当は激情のあまり両目から血液が噴射するんじゃないかと思ったが、何とか大丈夫だった。
「またそうやって適当な返事して……絶対に行くんだよ。約束!」
 母は強めに言ったが、私は聞こえない振りをして立ち去った。
 一人の車に乗り込んだ途端、沸々と怒りが湧き上がってくるのを感じた。気に食わないことや疑問なら、山ほど滲み出てきた。
 まず、「電気の椅子」と「新宗教の教え」の両者はきちんと矛盾することなく同居しうるのだろうか?
 確か「新宗教の教え」によれば、祈願すれば病気なんて何のその、だったはず。「電気の椅子」に座る必要なんてないだろう。そもそも人々の健康への渇望を人質にとる商魂が気に入らない。特殊詐欺と何が違うのか。
 デパートの一階なんかでもよく、高齢者向けに胡散臭い健康セミナーが繰り広げられているが、何度怒鳴り込んでやろうと思ったことだろう。セミナーの最中に外から睨む私を、スタッフが「もしよろしければどうぞ」と招くこともあるが、よろしいことなんて何一つないので、黙って去ることしかできなかった。

 母は父の実家の畑で採れた野菜をごっそり教会へ持って行き、捧げている。教祖はとっくに亡くなっているため、もちろんそれらの野菜たちが教祖の元に届くはずもない。せいぜい職員の胃に入るか、破棄されるかで終わりだ。一体何のために野菜を捧げているのだろう。ひょっとして、神に届くとでも思っているのだろうか? それとも、そんなこと考えすらしないのだろうか?
 何より一番気に入らないのが、教会の駐車場に設置された自動販売機だ。そこには夏だろうと冬だろうと「つめた~い」飲み物しか置かれていない。幸福を願う宗教の癖に、冬に「つめた~い」しか用意されていないなんて、おかしい。これだけでその宗教の実態やレベルが推し量れるだろう。
 私は意地でも教会の中には入りたくないから、どうしても母を教会に送らなくてはならないときは、駐車場で待機する。「あんたも来なさい」と言われても断固として動かない。
 そんなときに「つめた~い」飲み物だけがずらりと並んでいるのを目にすると、本当に全てをぶち壊したくなってくる。「つめた~い」ココアを口内でぬくめながらちびちび飲んでいると、ただでさえ不機嫌だった機嫌が更に悪化していく。
 いや、「あったか~い」お茶くらい、くれよ。
 心でそう叫んでしまうから、近年は自動販売機にも近づかず、車内でじっと本を読んで過ごしている。母の祈りの時間はいつでも長いから、読書が捗って仕方ない。

 ここまで書き連ねておいて何だが、私は母を憎んでいるのではない。寧ろ愛していると言っても良い。去年のゴールデンウィークは家族皆で温泉旅行に行ったくらいだ。
 私が予約したその部屋を、「これがデラックスルームなのけ」と不満げに言っていたのは気に入らなかったが、せっかくの旅先で腹を立てても仕方ないので、ぐっと堪えた。
 今画策しているのは、母の不可解な言動の全てをじっくり考え、小説にすること。
 そもそも母は一体何故宗教に傾倒していったのか?
 元々は母の母がその宗教の信者だったから、その影響を受けたのだろうけれど、じゃあ祖母は、何故その門を叩いたのだろう。しかも祖母はのちに宗旨替えし、かなりマイナーな新宗教を信仰するようになったので、母以上に不可思議な人だった。
 幼少期、姉と私とで祖母宅に泊まった際、祖母はアトピーの姉の肌に「ご神水」なる水を塗り込んでいた。横にいた叔母(母の妹)は「これで良くなるからね」と言っていた。姉は黙ってそれを受け入れていたが、子どもだった私はその光景をとてつもなく薄気味悪く感じていた。何それ、と思っていた。ただの水じゃん。
 翌日そのことを母に告げると、母は眉を顰め、嫌悪感を露わにした。「ごしんすいだ」と呟いた。そこでご神水というワードを知ったのだった。漢字表記を知ったのは数年後のことだった。
 更にここまで書き連ねておいて何だが、私はお正月には神社に初詣に行く。手水舎で手を清め、賽銭箱に穴の開いた硬貨を入れ、願い事を唱え、おみくじに一喜一憂し、お守りを複数買いする。こうすれば一年間は無事でいられるような気持ちになり、心が軽くなる。これでは母と何ら違わないのではないか。しかもその初詣には、母も一緒に来る。信仰と反するからなのか、家族のうち母だけがお守りを買わない。けれど私たちと一緒になって、おみくじを引いてくれる。
 私は窓を開け、空を見上げた。曇天で、烏が鳴いていた。
 もう少しだけ母に優しくしてもいいのかもしれない。そんなことを思った。

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