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不登校後期の頃 【学校の価値って?】

学校へ行く価値と勉強をする意味を教えてくれたら、
俺の事を納得させれるくらいの説得力を親としてみせてくれたら、学校へ行くことを考えてやるよ。

息子はよくこう言っていました。

不登校になったばかりの頃は、この質問に答えられなかった私。
私自身、学校へ行くことは当たり前として育ち、学校へ行くことに疑問も感じたことはありませんでした。
ただ毎日、起きて行く。部活をして帰ってくる。
休日は友達とショッピング。
学校へ行くことは生きていくうえでただのルーティン。
価値をおしえてって言われても…わかんない。

自分なりに、答えを出そうとしても出せなくて、よくあるネット受け売りの1文を伝えました。

自分が大人になった時に困らないように。
勉強していろいろな知識を身につけておけば困らないから。
イマドキ、中卒じゃ仕事なんてみつからないから。

息子の回答

はい。それは一般的な話でしょ。俺は、勉強は自分のしたい勉強をしたい。学校へ行って、みんなと同じ内容でやりたくもない、興味もない勉強をして大切な一生をつまらなく生きたくない。
例えばお金儲けのこと、どうやったら自分の生活がイキイキして豊かになるかを勉強したい。学校はそんなことは教えてくれない。
髪型がどうとか、持ち物がどうとか、テストの点数が良いとか悪いとかそんなことで人間の価値を区別されたくない。
自分の人生なのにどうしてみんな揃って同じ道を歩かなきゃいけないの?
掛け算割り算くらいできれば計算に困ることもないし、歴史なんて人の過去なんて興味が無い。理科だって医者になるわけでも科学者になるわけでもないし、英語は話せた方がいいけど、書けなくてもコミュニケーションはとれそうじゃん。
外国の学校は授業も選択できる。部活という概念もないし。その分、自己責任があるのもわかってる。でも、興味を持ってできる勉強こそが将来自分のためになるんじゃないの?日本の教育ってそういうカリキュラムになってないよ。勉強なら学校に行かなくてもできる。その方が効率がいいに決まってる。
俺が教えて欲しいのは、これなんだってば。

…私……反論できず。
だって息子の言ってることは何一つ間違ってないんです。

けど、ものすごくいい議題ですよね。
私が親として答えを出して、その答えが受け入れてもらえたら、この子は変わるのかもしれない。
そう悩みながら次にとった行動は、これまた偉い人の名言から拝借。立派な言葉がたくさんずらり。
自分の考えに近いものを息子に話してみました。

だーかーらー、これってお母さんの考えた言葉じゃないでしょ?子供を学校に行かせたくて、あれこれ禁止だの制限だのって言ってるくせに、俺の心に響くものはなんも伝わらない。無理だよ、終わってるよね親として。

学校ってなんだろう。何をするところなんだろう。行くことと行かないことで何がこの子にとって変わるのだろう。
どれだけ自問自答しても答えはいっこうに出てこないのです。困り果てていました。

ある休日、息子は元旦那さんの家に泊まりに行きました。
離婚していても親子ですので、時々会える時間を作っていました。
旦那さんの家から戻ってきた息子はいつになく明るい。
おかしいな〜って思ってたら、旦那さんから、聲の形という映画をみせたと言われました。

この映画で自分でも学校へ行くことについて考えたのでしょう。明日から半日でもいいから行ってみる。でも教室は無理かもしれない。でも行くよ。と言ってくれました。
私はこんなに毎日苦労してもこの子から学校に行くという言葉を引き出すことができなかったのに、別れた旦那さんに良いとこ取りをされたようで、嬉しいのか悔しいのか複雑でした。
学校に行けることが嬉しいはずなのに、自分の力ではないことが寂しく感じました。
私はこの子にとって自信の水を貯める存在ではないのかもしれない。お父さんの方が信頼されている。一緒に住むのは私じゃ不適任なのかもしれない。
なんだかそんな気持ちが止まらず、そんな私の様子をみてか息子の学校への動きも長続きはしませんでした。

学校の価値
勉強することの意味

これを自分の言葉で、伝えなきゃいけない。
人から借りてきた言葉は通用しない。
親として試されている。

そう思いました。

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