バレエのこと

バレエ音楽を聴くのが好きだ。

白鳥の湖、くるみ割り人形、コッペリア、眠れる森の美女、シンデレラ、ロミオとジュリエット、ドン・キホーテ、ヘンゼルとグレーテル(これはオペラだけどバレエにも使われる)これらをもう何年も飽きずに聴いている。そんなことを時折人に話すが、大抵は興味が無い反応をされる。そりゃそうだと思う。わかる。なのでそういうときは他の音楽の話に切り替えるが、ちょっとくらいバレエ音楽の話もしてみたいなとも思う。

そもそも音楽を聴くとどんな心持ちになるか。私の場合、心が高揚して、いてもたってもいられなくなる。「ぐっすり眠れる音楽」なるものを聴いたところで、昂ぶってしまって眠れた試しがない。今はジャズが流れる喫茶店でこの文章を書いているが心が踊って(気が散っているともとれる)仕方がない。文章を書くときは無音が良い。場所を移すか。

バレエ音楽を聴くと、その他の音楽を聴くのとは違う部分が高揚していく感覚が生じる。頭の中に劇場が浮かび、シーンによって照明が変わり、スモークが焚かれる。バレエダンサーが舞う。踊っているのは私自身である。主人公も村娘も小鳥も悪魔も私が演じている。全ての役の感情が湧き上がってくる。疲れる。が、この感覚が大好きなのだ。もう少し気楽に聴けたらとは思うが、こうなった理由は自明であるし、その理由が無ければバレエ音楽を聴くことも無かっただろうと思うので仕方が無い。

3歳から10年程バレエを習っていた。幼い頃の将来の夢は当然のようにバレリーナだったし、週3回のレッスンや公演前のリハーサルは日常のひとつだった。踊ること演じることがとにかく好きだったし、次回公演の演目と配役が発表されるときは、自分がどんなに脇役だったとしても毎回喜んだ。

私はレッスンに早く行くし休まない真面目な生徒だったので、先生には気に入られていたように思う。同じクラスの生徒がジャンプして舞台上を行き交うシーンで、私は中央で止まり腕の振りをする、目立っておいしいポジションを与えられたり、レッスン前に先生の自宅に行き、特別なトレーニングをしてもらったこともあった。小学校高学年の頃には幼稚園クラスのレッスンの手伝いをしたこともあったし、年に一回の昇級試験ではいつも合格していた。

先生はとてもよくしてくれていたが、ある日のリハーサルで快活な踊りが終わった後、みんなの前でこう言った。「君は踊る心は持っているのに脚の形がダメだからね…」諦めに近いトーンだった。

そんなことは知っていた。私の脚は太く曲がっていて外向きにあまり開かない、バレエに不向きな脚なのだ。生まれつきのもので、努力でどうこうできるものでもない。私だけ止まって腕の振りをする目立ったポジションを与えられたのは、舞台上でできるだけ私の脚を観客に見せないようにするためだし、先生の自宅で行った特別なトレーニングは脚の形を矯正するものだった。幼稚園クラスを手伝ったのは私が助手としてふさわしいからではなく、ただ早い時間から教室にいたからということでしかなかったし、昇級試験に合格していたのは最初の方だけで、後はどんどん追い越されていった。

最近とあるバレエダンサーが「バレエは努力で人を選ばない。1人の美しい人を選ぶ。」とSNSに書いていた。非常にしっくり来た。言葉にできていなかったが、あの頃の私はこの感覚を持っていて、脚の形が改善できないことを知っていた。それでも踊ることが好きだったから続けていたが、先生からの「ダメ」という言葉で何かが折れてしまったのである。

結局バレエはやめてしまったし言葉による傷が今も痛むことはあるが、先生はあのとき本当に的確なことを言ったなと思う。「踊る心を持っている」というのはバレエをやめたからといって失われるものではなかった。今でもバレエ音楽を聴いて、私は心で踊っている。いつかまた自分の身体で踊りたいなと願いながら。

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