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【you+】◯◯の存在を教えてくれた大学の授業の話

んー、細かく覚える必要がなさそう!

 高校の時、こんな理由で選んだ世界史。塾の先生の授業が想像以上に面白くて、国対国の関係が人間関係の様だなと思った。こうして国際関係に興味を持った。

 元々英語を好きなこともあって、名前に”国際”が付く学科がある大学に入った。その学科には様々な活動をしている人たちがいて、”国際”協力を目的とする学生団体に入った。そして当たり前のように、スリランカでのフィールドワークを行う半年間の”開発”を学ぶプログラムの履修を選択した。大学1年生の秋の事だ。

これが私を変えてくれたyou+である。

 このプログラムは「キツい」ことで有名で、どんだけキツいかというと週2の座学に、週1のプレゼンの授業がある。座学はほぼ英語で行われる(しかも専門用語がたくさん)ので、予習復習は必須。フィールドワークを行うためグループに分かれて現地の事を文献やネットを駆使して調査、プレゼン担当週は外部からのゲストとのやり取りから資料作成、本番への練習までこなさなくてはならない。

 さらに「キツい」理由は、プログラムにふさわしくないと講師に判断された学生は途中でプログラムを離脱しなくてはならないことだ。いわゆる、「クビ」。

刺激だらけで楽しい毎日

新しいことだらけで楽しい!

 今思うとよく履修したなーと思うのだが、当時の私はこのプログラムを楽しんでいた。元々キャパが大きくない私の生活はこのプログラムでいっぱいになった。他の授業をサボり、睡眠時間を削り、バイトのシフトを減らした。実はテニスサークルにも入っていたのだが、早々に幽霊部員になった。終電ギリギリまで大学に残って勉強し、帰宅をしたら両親が玄関先に立っていて、揉めたこともあった。仲間の家に泊まって夜遅くまで合宿をした。そこまでしても履修する価値があると思ったから。時には仲間と意見がぶつかることもあったけど、それすら私にとっては大きな学びでしかなかった。

ゆるやかにズレは生じていたのだと思う。

目指すのはどこ?


 半年間のプログラムが折り返しを過ぎたあたりで、仲間から「あやは現地のことを考えていない」というような言葉をかけられた。

なにそれ。

悔しかった。本人に抗議したかどうかは覚えてないのだけれど、指摘を受けたことは今でも覚えている。

 プログラムが終盤になると、いよいよ渡航準備が始まった。学ぶだけではなく、パンパンな中から時間を作って予防接種や渡航に必要な物の準備をしなくてはならなかった。私はしおり作成係を担当した。一緒に担当していた仲間が「クビ」になってしまったので、一人で担当しなくてはならなかった。仲間の分まで頑張らなくては、と自分に喝を入れた。

私が頑張らなきゃ。


 しかし、課題やらなんやらがたくさんあって、しおりまで手が回らず、やっつけ仕事になってしまった。Wordで作成したのだが、体裁が崩れていたり英訳が適当になってしまったのだ。

 そのひどい仕事ぶりを講師に見抜かれて「後回しグセがあるあなたを連れて行くことはできない」とメールで「クビ」を言い渡された。

その一文で私のプログラムは終わりを告げた。

渡航まで一週間を切っていた。

(↑対ヒトのフィールドワークにおいて、後回しグセは重大な事故に繋がる。きっかけはこれだけど、もちろんそれまでの履修態度全体を見ての判断だと思う。)

悲しい。悔しい。

 泣いた。周りの目を気にせずにパソコンルームでたくさん泣いた。仲間に慰められながらこれでもかって位泣いた。そして寝た。我ながらビックリなんだけど、寝た。笑

悔しい気持ちがある一方で、私は安心したのだ。

 その頃はもう、ただひたすら「クビ」にならないようにだけを考えていたのだと思う。仲間からの指摘はあっていた。現地の人のことよりも、「キツい」プログラムを履修して、頑張っている自分の方が可愛かった。ただただ自分に酔いしれていただけだった。

 国際関係に興味を持ち始めた時はもっと純粋な気持ちだったのに、ゆるやかに目的にズレが生じて、最終的には手段が目的化していたのだ。

 私のプログラム履修は強制終了したが、他の仲間はフィールドワークを立派にこなした。その間私は、先に「クビ」になった仲間に声をかけてもらい、悲しい気持ちを共有して反省をしていた。この時声をかけてもらったのは本当にありがたかった。

 この経験を経験を通して、私は他者の存在を知った。ここでいう他者とは仲間ではなく、学ぶ目的のその先にいる人たちのことだ。

 高校生までは用意された勉強をこなすだけで良かった。自己満に浸っていようがなんだろうが勉強するだけで褒められた。しかし、本当はそうではない。勉強は手段であって、その先に目的があって、それは研究テーマではない。それは人であって、人々の生活なのだ。

 この経験は15年程たった今でも思い出すと幼かった自分を恥ずかしく感じるし、切ない気持ちになる。しかし「連れていけない」と判断してくれた講師には今なら感謝を伝えることができると思う。(メールの文面を最後に繋がりが全く無くなってしまったが。)




 その後、私は所属していた国際協力団体を脱退した。純粋に国際協力を目的として活動しているように見える仲間に対し、自分が薄汚い偽善者のように感じるようになっていたからだ。

周りと自分の差を感じで辛い。

 泣きながら先輩に脱退の意志を伝えた。先輩が優しく受け入れてくれて嬉しかった。「自分の利益だけを考えることができる!」と気が楽になった。

 そして卒業後は「自分の利益だけを考えることができる」一般企業に就職をした。

終わりに

 これが私に他者の存在を教えてくれたyou+の話である。

 そんな私だが、自分達の利益だけを追求する会社の姿勢に辟易して今はフリーランスになる準備を進めている。笑
国際協力や開発というテーマに戻る訳ではないけど、みんなの利益を考えていきたいというのはきっと本質なのだろう。

自分もハッピー◎
周りもハッピー◎を目指す!


 大人になり、他者の事だけを考えれば良い訳ではないということも知った。これから私は自分の利益と他者の利益が一致する点を改めて探すタームに入っていく。

人生は本当に何があるかわからない。

私は今、これからが楽しみで仕方がないのだ。


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