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すずめの戸締まりのこと

ネタバレを含んだ感想になるので、まだみられていない方は、こちらの文章を読まないでください。
私は公式より注意喚起されている情報以外は、ほぼ前情報なしに見に行ったのですが、それがとても良かったです。



昨日、ふと見るか、と思って11日に公開された新海誠さんの「すずめの戸締まり」をみた。

大変失礼な話ではあるが、率直にいうと私は、今まで新海誠さんの作品を鑑賞してきてそれほど胸を打たれたことも、大きな興味を抱いたこともなかった。
素晴らしい映像と音楽のリンクや、ストーリーの魅せ方などに関して、すごいとは思っていたが今イチピンと来なかったというか。
君の名は。の大ヒットの際も、へぇ〜まぁあれはすごいもんね、という私にはとてもできないエンターテイメントを生み出す力へのリスペクトの気持ちはあったものの、ハマった、という感覚はなかった。
なんかやけにスピッてるな〜とは思っていたが。

続けて天気の子も映画館で見たわけだが、こちらについても、同様の感覚で、特にめちゃくちゃいい!とも悪いとも感じない、でも面白いもんみたな、という感覚だった。

そんな私だったが、すずめの戸締まりを鑑賞後、いや、鑑賞中、いや、始まって数分で、見事にハマってしまったのである。
とにかく、鑑賞後はやばいもんみた、しか言葉が出てこなかった。感覚が言語化できなかった。体験としての映画鑑賞であった。私の中のオタクが一斉にスタンディングオベーションした。

そして本日、鑑賞後数時間とたたない間に2回目を鑑賞してきたのである。
完全に沼である。
かつて私がこんなふうにハマった作品といえば、直近で言えば中国のアニメーション、羅小黒戦記があげられる。

この2つの作品に共通して流れる地脈のようなもののひとつは、宮崎駿さんへのリスペクトである。
随所にリスペクトを感じる部分があって、それは全然パクリとかそんな軽々しい表現じゃなくて、踏まえた上での新しい表現だと思った。
私の中にもジブリはまるで血液のように流れている。それはとても自然なもの。
宮崎駿さん自身は、かつて何かのインタビューで、映画は何回も見なくてもいい、子供の時に一回観た強烈なイメージが残ればいい、みたいなことを言っておられたと思うが(エビデンスはなく完全に私の思い違いであるかもしれません…)私にとっては、ジブリは身近にあるもの、小さい頃から何度も何度も観たもの、心から大切なものなのだ。ちょっとした家族みたいな感覚である。
だからこそ、リスペクトをもって新しい作品をつくられるクリエイターの方々に感動するんだろうな、と思った。
新海誠さんの視点でつくられたジブリみたいな感じ、といったら語弊があるだろうし、そうではないんだろうけど、私はそこにまず感動したし、すごいと思ったし、面白いと思った。
新海さんがこれまで生きてきたものの見方だったり、感じてきたことだったり、信念のような祈りだったり、そういうもの全てが体当たりで表現されていたように思った。
君の名は。から始まって、三部作ではないんだろうけれど、三部作を見たような、最後の作品がいちばん完成度が高いというか、伝えたいことがダイレクトに文字通り「響く」作品であったことは間違いない。
ここまで観てきて、初めて新海誠さんと手を繋げたような気がするといっては大袈裟かもしれないが、私は確かにありがとう、と思った。
見せてくれてありがとう。つくってくれてありがとう。本当によかった、観れてよかった。

羅小黒戦記と共通している点でもう一つあげられることは、キャラクターの完成度の高さ、である。
今回の作品、特にキャラがいい。
これはオタクならではの感想になるが、本当にキャラがいい。
草太さんはもちろんのこと、芹澤よ芹澤。
いいやつすぎて涙が出る。
そして鈴芽ちゃんのかわいさたるや。
なんてあざといの。可愛い。
映画館を出る時には、私は鈴芽になる!絶対になる!となぞの気持ちになってしまった。
ダイジンに関しては、え、お前はキュウべえか?と言わんばかりの背筋が凍る怖さと可愛さを感じるし、すずめのいすも最高にいい。
環さんが「左大臣」と言った時の声とあのカットを永遠にループして円環の中にとりこまれて出てこれないし、稔さんにはがんばって欲しい。
書き出したらキリがないけれど、映画の特典で配布される新海誠本の中でも新海さんがおっしゃっていたが、まさにロードムービーをみたような感覚があった。
鈴芽が日本を横断していく中での人との出会いも良かった。
出会った人みんないい人たちだったし、それぞれのキャラも最高に良かった。


すずめの戸締まりを見て思い出したことがある。かつて私が中学校の時になんの授業だったか、体育館でみんなでみた山田洋次監督の「十五歳 学校IV」を見た時のことだ。
あれはあの時、一回きりしか見てないけれど、大切な旅をした感覚になったのをずっと覚えている。その時の感覚がオーバーラップした。
だいたいあぁいうロードムービーは男性のものであることが多かったし、だからといって受け入れられないというわけではもちろんなく、いいよな、面白いよな、といつも思うのだけれど、今回のすずめの戸締まりでは様々な年代の女性が出てくること、主人公が女の子であることも嬉しかった。
私自身はもう、けして女の子と言える年齢ではないけれど、いくつもの私のような人に出会えたような気がする。

それはこの作品全体から受ける印象とも重なる。
この物語は喪失の物語であり、鎮魂の物語であると思うが、私はこの物語から愛と優しさを感じた。
私はあの時あの震災を直に体験したわけではないので、震災に関して、実際に体験した方の気持ちはわからない。だからそのことに関しては何もいうべき言葉がないし、何も言及することはできない。
私は私自身の大切な人を失った経験がある。
なまじお涙頂戴の創作物を見ると耐え難いほど苦しくなるし、感情が動くことはほぼない。
少し冷めたような気持ちになる。
それはお前にはわからないだろうという皮肉めいた気持ちではなく、ただ静かに心を閉ざし、感情に蓋をする、静かな気持ちである。
だから、そういう意図でつくられた創作物の本質には割と敏感なほうだと思う。
そういうものは出来るだけ見ないようにするか、見ても目で見るが心には決して入れない。
すずめの戸締まりは、端的にいうと、お涙頂戴の物語ではない。
この作品は観る人に、失った人に、簡単に魔法のようなことが起きて助かることがある、救われることがあるなんて夢物語を押し付けない。そんなことが現実には簡単に人任せに起こるわけではないのである。私たちは知っている。
結局は何があろうと生きている限り、自分自身で生きていくしかないのだし、その中で得られる人との出会いや日々の営みが奇跡のように泥臭くて儚くて面倒で鬱陶しくて、強いのだ。
失っても失ったものは戻ってこない。
でも、自分自身の中に全てのものがある。
誰かじゃなくて、自分の中にしかない。
一歩ずつ、毎日、毎分、毎秒、重ねてきた。諦めたいのに、どうしてこんなに執着してしまうんだろう。
どんなに悲しくて、明日なんて真っ暗だと思っても、こうしてここまで来れた。
私の中の生きる力、生きたいと思う力、なんという執着心。
私は、すずめと一緒に「私」に会うことができた。誰かじゃない、何かじゃない、ここには私がいる。最悪で最高で、ちょっと無理って思うけど、でも愛おしい。そうやって日々を、出来るだけたくさんの大切な人と一緒に重ねていきたいと思った。優しくなりたい。

綺麗な映像と、素晴らしいキャラクターと、ストーリー。そして声優の方々の演技、音楽。
全てにおいて、素晴らしい作品だったと思う。




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