見出し画像

クィア文学としての夏目漱石『こころ』における「明治の精神」

はじめに

 『こころ』の文学理論としての読解は、多くの先行研究が存在する。作品に研究の数だけ読解があるとするならば、『こころ』は近代日本文学の中で最も主題の多い作品の1つと言えるのではないだろうか。作品が朝日新聞上で連載されてから既に100年以上が経過している今日改めて本作品に取り組む上では、必然的に先行研究の何れかに根ざしたものにならざるをえない。本稿では、そうした数ある作品論の中でも、クィアセオリーによる読解と作品背景を中心に、作品最末に登場する「明治の精神」の概念を検証するものである。

「こころ」とクィアリーディング

 本作に同性愛感情の存在を提起した研究に限ってもかなりの数が存在するが、精神科医である土居健郎が『漱石の心的世界』(至文堂、1969年)で「先生」と「私」の関係について検証しているものが著名である。大岡昇平によるその後の評論も、同書の影響を強く受けている。 だが作品内で「先生」は「私」に対し「異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来た」(上 十三)と述べており、突飛な読解とは思えない。

本稿における同性愛描写の読みは、東浩紀が『文芸の本棚 夏目漱石「こころ」をどう読むか』(河出書房新社、2014年)に寄せたエッセイ『少数派として生きること』に依拠したい。同エッセイで東は『こころ』の同性愛描写の豊かさや、そうした研究が時折なされることを指摘し、内容としては「私」が「先生」に恋をした可能性が高いこと、物語を動かしているのは「先生」「K」「御嬢さん(=静)」の三角関係ではなく「先生」と「K」の関係であるとしている。「物語を動かしている」というのは取りも直さず、「先生」による自殺の直接の原因を意味している。東は自殺の動機がKへの罪悪感(倫理的問題)でも人間存在への絶望(存在論的問題)でも明治天皇の死(政治的問題)でもなく、「私」との出会いで性的な真実に気づいたから(性的問題)だとしている。具体的には「先生」がマジョリティであると誤解してしまっていた間、「K」を死に追いやり御嬢さんを不毛な夫婦生活に閉じ込めてしまった。これが「先生」の言う「罪悪」であり、その罪を繰り返すなと「私」に説いたとした。

こうした読解は「先生の遺書」後半に登場する「恐ろしい影」の実態も説明可能であり、その点においてこの論は根幹部分の妥当性が高い。「K」に対峙する「先生」の描写は、「先生」に対峙する「私」のそれと奇妙なほど合致する。例えば「私」と「先生」が出会ったのは鎌倉の「海」だが、「先生」が「K」と対話したのも千葉の「海」だ。『文芸の本棚 夏目漱石「こころ」をどう読むか』では東の他にも、吉本隆明による論考や奥泉光と伊藤せいこうの対談の中でも同性愛描写について言及されており、2000年代以降はむしろ主流とも言っていい読解である。

自殺動機としての「明治の精神」

一方で東の論には、若干の留保を要する部分が存在する。無論それは、「明治の精神」と自殺動機の連関を完全に否認している点だ。「明治の精神」は作品最末で以下のように登場する概念である。

すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました。私は明白に妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたらよかろうと調戯いました。
五十六
私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。

―夏目漱石『こころ』(角川文庫、2000年)より抜粋

「すると」というたった3文字で導入されるこれらの文章は、読者に奇妙な印象を強く与える。この1ヶ月後、「先生」は乃木希典夫妻殉死の報に接し、その数日後に自らも「殉死」を決意する。明治天皇と乃木夫妻の死が、元来「死んだつもりで生きて行こうと決心」していた「先生」の自殺に少なくとも直接の根拠を与えていることは疑いようがない。とすれば、必然的に上述のようなクィア読解との整合性が問題となってくる。柄谷行人は『文芸の本棚 夏目漱石「こころ」をどう読むか』中の論考『漱石の多様性 「こころ」をめぐって』で、「K」のような宗教的求道者やその観念に代表される固有の在り方こそ「明治の精神」であるとしている。これを手がかりに検証することも可能だが、より直接的な読みの可能性を考えたい。

「明治の精神」の再検討

柳澤浩哉は「先生はなぜ自殺したのか : 『こころ』の謎を解く」(『広島大学日本語教育研究』19号、2003年)の中で「明治の精神に殉死する」という読者の共感や想像を得にくい感覚は、「先生」の特殊な罪悪感を踏まえれば自然な決意として受け止められると指摘している。 さらに『文芸の本棚 夏目漱石「こころ」をどう読むか』中の丸谷才一と山崎正和による対談で両者は「明治の精神」をT.S.エリオットが『ハムレット論』の中で唱えた「客観的相関物」であるとし、漱石がそのように持ち出したこの概念が作品中でうまく機能していないとも指摘している。さらに近代的自我の芽生えと国家観形成という倒錯した状況を指摘している八木良夫の研究 や、より極端に「民権論的悲壮」そのものであるとした李美正の論 があるが、これら全部に共通しているのは、いずれも時代論であり現代の読者には到達不可能なものとして、「明治の精神」を想定している点であろう。

時代背景から読む

ここで、基本的な事柄に立ち戻りたい。歴史的事実として、『こころ』が朝日新聞に連載されたのは大正3年、言うまでもなく明治という時代がとうに過ぎ去っていた時点である。とすれば、明治の終焉という時代状況は読者の理解可能な範囲にあろう。乃木夫妻の殉死を評論の場に持ち込んだのは志賀直哉や武者小路実篤に代表される、いわゆる「白樺派」の人々だ。

乃木に反発する一派は戦前から存在していた。代表格は白樺派である。志賀直哉は日記で「馬鹿な奴だ」と断じ、「丁度下女かなにかゞ無考(むかんが)へに何かした時に感じる心持と同じやうな感じ」を覚えたなども記した。武者小路実篤も「ある不健全な時が自然を悪用してつくり上げたる思想にはぐゝまれた人の不健全な理性のみが賛美することを許せる行動」(『白樺』大正元年12月号)とした。新思潮派の芥川龍之介も小説『将軍』でこき下ろした。

―2002年6月8日 産経新聞「倫理退廃と戦った乃木希典の殉死」より抜粋

 武者小路は、『こころ』中・下と全く同じ人物相関の作品である『友情』の中で、「大宮」が「野島」に対し「日本によき人間」「日本、否、世界の誇りになるような人間」であることを望む場面を描いている。乃木夫妻の死を「不健全」だと評価した武者小路が、「日本」という国家観を少なくとも作品上では是認していたことは明らかだ。

 一方の夏目は、このような時代状況を客観的に理解していたと考えられる。徴兵回避をしたことでも知られる夏目であり、軍事的・国家論的スタンスからはある程度距離を保っていた。とすれば、「明治の精神」は「先生」個人の理解に依拠するものとして捉え直すべきだろう。「先生」の自殺が決定的なものとなったのは、乃木夫妻の殉死よりもあとである。『こころ』本文をもう一度抜粋する。

私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。

それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解わからないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた性格の相違といった方が確たしかかも知れません。

―夏目漱石『こころ』(角川文庫、2000年)より抜粋(太字筆者)

本質は明治天皇の死ではなく、乃木夫妻の死なのだ。「先生」が共鳴したのは「明治の精神」という時代感覚ではなく、通奏低音として流れてきた罪の意識であるという一点である。これは現代の読者にとっても共通して理解しうる感覚であろう。もし理解されなかったとすればそれは引用下線及び太字部分のように、「個人の性格の相違」すなわち経験論的な見地からとらえられるものである。

 マイノリティとして生きてきた「先生」に浮かび上がる罪の意識と「明治の精神に殉死」という感覚は以上のように説明できるのである。



平川祐弘 鶴田欣也 編『漱石の「こころ」―どう讀むか、読まれてきたか』(新曜社、1992年)

東浩紀「少数派として生きること」(石原千秋 責任編集『文芸の本棚 夏目漱石「こころ」をどう読むか』河出書房新社、2014年)

柳澤浩哉「先生はなぜ自殺したのか : 『こころ』の謎を解く」(広島大学大学院教育学研究科日本語教育学講座『広島大学日本語教育研究』19号、2003年、23-30頁)

八木良夫「『こころ』をめぐって」(甲子園短期大学『甲子園短期大学紀要』16号、1997年、109-121頁)

李美正「夏目漱石の『心』論 ―三人の死を通してみた『明治の精神』を中心として」(広島大学大学院『広島大学大学院教育学研究科紀要』第二部 第50号、2001年、243-250頁)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?