この夏が、流れていく

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小説を読む時は最後のページから読む。そのことを君に話すと「嫌な奴だ」と訝しながら笑われた。ローカル線に揺れながら、ふと思い出す。登場人物の命運は最初から知っていて、登場する舞台が取り巻く独特な世界観も全てがネタ晴らしされていて、ただ美しく構築された世界を再度なぞること、それが僕にとっての読書という行為だった。結論が定まった物語に、パズルのピースを嵌めていく様に、一つ一つの文に埋め込まれた伏線を俯瞰的に眺める。その瞬間、昂ぶりの様な感情は介在せず、ただ、安定して運命づけられた物語がそこにあるだけ。そんな風に底知れた世界だと斜に構えて眺める視界で、あの日の目は景色を眺めていたのだろう。

俄かに騒めきだす心の波風を立てぬ様に、心を静める様に窓の外に目をやる。なんとなく停車した駅に降りる。その町のことを知っている訳でもなければ、別に目的もないが兎に角なんとなく降りてみる。考えてみれば、「結末の安定性」を求める様な聊か人とずれている読書遍歴を辿ってきた自分の様な輩が、知らぬ街に思いつきで歩きに行く様な行動を重ねているのは矛盾してるよな、と自嘲気味に頭の中で笑う声を無視して歩き始める。そうして、この町の川の流れがとても美しく、観光地になっていることを知る。

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水路沿いに歩いていくと、いくつも夏を彷彿とさせる景観がそこかしこにあった。水のせせらぎが、暑さを音として紛らわしていく。川に沿う様に点在する生活感が、この町が水ととても密接なことを雄弁に物語っていた。こういった風景はあまり私の生まれ故郷にはないのだが、それでもノスタルジアの念を抱く。その生活感は胸を苦しくさせる程に鮮明に、なのにその景観について記憶の何処を探しても存在しない、その矛盾も本というもので概念的により身についた懐かしさなのだと思う。

好きな小説を勧めあったこと。
君の勧める小説が酷く退屈だったこと。
酷くつまらない小説だったと伝えると「心が腐ってる」と笑われたこと。

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透き通る水面に、 紅白の花が揺らめいていた。白い花はこの地域で有名な梅花藻と呼ばれる淡水植物。赤い花は散った百日紅の花。そこに留まる白と、そこから少しずつ流れていく赤。こうやって交わるのはほんの一時のことなのだろう。何処か、遠くに赤い花びらは流れているのだろう。そうしていつか分解され、風化され、消えていくのだろう。

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百日紅と言えば、花言葉に「あなたを信じる。」という言葉がある。
この言葉の謂れは悲恋の話とされる。

王子様と娘は恋をする。100日後に必ず戻ると約束して、使命を果たすべく王子は旅に出る。やがて、王子は戻るが、娘はすでに亡くなっていて、娘の墓には、美しい百日紅の花が100日間咲き続けていたという。

そんな概要の話。流れていく赤い百日紅は、帰らぬ旅に向かう、王子の様であり、また決して戻りの存在しない旅に出る娘の様だなと、少しだけ感傷的な気持ちになる。

ふと、見やると堰き止められ流れた百日紅の花が、溜まっていた。

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何処かに辿り着くこともなく、さりとて戻ることもない赤い花。僕たちの旅は常々不可逆で、そうして、それは喪失や挫折を伴うものである。未だ、夏の炎天下がじりじりと皮膚を焼くあの夏の日の終わり。走馬灯の様に「あの日の声」が頭の中で反響していく。蝉時雨よりも騒がしく、けれどもどんな夜のど真ん中よりも静かに。

僕は夏を憶えている、夏を忘れたくないと思うけれども、そこに全ての景色を何の欠損も伴わないで残していたら、きっと声が飽和して壊れてしまうだろう。感傷の海に溺れてしまうだろう。知ってしまった結末を全て抱えたままいたら、とっくに君の声が溢れてしまう。

だから、夏を流さないといけない。
だから、夏を忘れることを受け入れないといけない。

そうして忘れ失いながら、「想い出」まで、ちゃんと流れてくれた赤い花を大切に宝物の様に閉じ込めて。僕は嫌な奴。時々思い出すその顔が、ぼやけていて本当に良かったと思う。

次に訪れる夏の為に、
この夏が、流れてく。

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