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なんだか、生きている

⚠️メンタルが落ちている方は閲覧をおすすめしません。うつ病にかかっている私の日記となっています。


 調子を戻したり、怪我を治したり、締め切りの迫った課題に取り組んだりとなんやかんやしておりました。

 先日、急激に落ち込んでしまった時のつぶやきに反応くださった方、心配してくださった方、本当にありがとうございました。そしてご迷惑をおかけしました…。
 人間、視野狭窄になると「自分に味方はいない」「もうお先真っ暗だ」となってしまうものですが、あの時がまさにそうでした。リアルの周囲の人たちにバレたら止められる怒られる心配かける、そんなよく分からない孤独感のまま、でも耐えきれずに書き込んだんだと思います。

 未だに自分でも「怠けているんじゃないか」「これは甘えなのではないか」と不安になるし、その中で「これは甘えではなく本当に辛く思っているからわかって欲しい」というものを身近な人に話しても分かってもらえなかったり賛成してもらえなかったり……、という「分かってもらえない」孤独感が強かったのだと思います。
 良いのか悪いのか分かりませんが、頭の中で自分に都合のいい友人を空想して、気持ちを吐露したり慰めてもらったりしている最近です。まずは他人ではなく自分自身が自分を認めるところからなのだろうなと感じています。

 先生からは「治そうと努力すれば治る、というものでもない」「治そうと焦るほど治らないこともある」という言葉をかけていただきました。知人の「はやく治るといいね」という言葉に傷つき、どうやったらこの上向きの調子をもっと加速できるんだろうかと考えていた自分にとって、救われた言葉でした。
 総合的に見れば良くなっているとはいえ、まだ寛解とは言い難いのがむしろ、治りの緩やかさを突きつけられているように感じていたのもあります。

 とにかく、かなり追い込まれたことは事実ですし、治りが緩やかな自分も受け入れなければならないのかもしれません。


⚠️さらに詳細な話になります。衝撃の大きい内容になるので、改めてメンタルの不調な方にはブラウザバックをおすすめ致します。


 恐らく自殺未遂と言っていいだろう事態に、二度なりました。首を刃物で切るところまで行ってしまったのです。その二回目が先日の投稿の時でした。本気で死ぬつもりでやっているのに、結局動脈までは切れずに終わってしまいました。現在は後遺症もなく傷も塞がっています。

 今までにも色々とやってはきましたが、今回のですら無理だったことを受け、やっと死ぬことを諦めました。きっとまだ痛いのが怖い、甘ったれなんでしょう。自殺してしまった人と私の違いはなんなのか、何度も考えています。
 ただ、私が自殺できなかった側の人間であることは事実。もう、きっと生きるしかないのだと思います。じゃあ生きるなら、この自傷による高い治療費はせめてかからないようにするか、ということで死ぬことを諦めた状態です。

 なんとも消去法的な考え方ですし、賛同してはもらえないのは分かっていますが、つらつらと書いてしまえばこんな風で、紛れもない本音がこれなんだと思います。

 障害者手帳や自立支援もやっと申請することを決めました。書類の提出やもろもろをこなしていると、1日に動いている量なんて少ないのに、なんだか生きている感覚がします。
 課題もやってみれば1時間ちょっとでひとつ終わるんです。逆にその日はそれ以外に何も出来なくなってしまうのですが。でも「課題を提出する」というタスクに、生きている感じがします。
 お腹がすいてコンビニに出かけている時もそう。

 なんだか生きてるなぁと、諦めのような吹っ切れたようなそんな感じで過ごしています。

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