あるものを数える

いいなあ、羨ましいなぁ、と他の人他のもの他のことをまぶしく思うことがある。隣の芝生は青く見えるということだ。こういう風に羨ましがることや嫉妬話はよくあることだ。
単純に人間とはそういうものだと考えてみたけれど、ふと「持っているものの方が少ないからではないか」と思い浮かんだ。
考えてみると、自分が持っているもの与えられているものは、限られているのだ。顔は一つしかないし、身長もいくつもある人はいない(数センチの増減は一日によっておこることもあるが)。能力などは複数持っている人もいるだろうけれど、それでもできないことの方が多いだろう。人間の性質として人と比べて羨ましく感じてしまうという部分はあると思うけれど、単純に一つしかもっていないものに対して、自分が好きと感じるものが多いから嫉妬話には事欠かないのかもしれない。
持っていないものの方が多いのだから、そればかり数えたり羨ましがっていてもらちが明かないのはすぐにわかるだろう。
自分の羨ましがっても仕方がない話として、身長がある。自分は中途半端な高さの身長をしている。高ければモデルのように見えていたかもしれない、もしくはスポーツでも有利だったかもしれないと高い身長を羨ましく思っていた時期があった。それとは反対に、身長が低めの子を見てものすごくかわいくて羨ましく思ったこともあった。
高い身長、低い身長どちらも羨ましいと思ったとき、結局はないものねだりでしかないのだとはっきりと思ったし、同じ身長のことなのに羨ましく思う項目が多すぎるとも思った。理由は身長は一つだからだ。もし何らかの努力をしてどうにかこうにか身長を伸ばしたとしても、今度は低い身長になりたいと思う瞬間は絶対ある、と変な確信を得たとき身長だけではなくて他のことに対しても強い嫉妬というのをあまり感じることがなくなった。それよりも今あるものを大事にしたいと思った。逆に考えてみると、自分くらいの身長を羨ましがっている人がいるかもしれないということを忘れてはいけない。
まずは自分は何があるか、それを生かすのにはどうしたらいいかと考える方がよほど楽しいしわくわくすると思う。だからまずは自分が何を持っているのか考えてみる。そして羨ましいと思ったときは同じ分野で持っているものは何か考えてみる。自分が持っているもの、与えてもらっているものに価値を見出せるのは自分だ。ないものを羨ましがっている時間を価値探しに使ってあげるのもいいと思う。

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