「新しいタイプの学校」を求める人たちへ
私は以前、教育の分野で活躍する先輩から、
「伝統的な学校に対して作られてきた新しいタイプの学校は全て失敗してきた」
と言われたことがある。
伊豆大島の三原山をハイキングしながら、
しばし語り合ったときのことだ。
その方は、次のように続けた。
「結局、自由と規律のせめぎ合いになり、自由は放任へと堕していく」
「もしくは、行き過ぎた自由への反省から、伝統的な学校教育へと回帰していく」
と。
伝統的な学校教育の限界を感じ、
進歩主義的な教育の具現化を模索していた私は、
その言葉に対して釈然としないものを感じていた。
しかし、
進歩的な教育を目指す学校現場でしばし起こる「混乱」を目にしてきた私にとって、
その言葉は心の中に澱のように重く沈殿し続けてきた。
それ以来、一年間ほどここに文章を書くことができずにいたが、
デューイの「経験と教育」を再読し、
頭の中を整理するために書くことにした。
デューイは「経験と教育」のまえがきで次のように主張している。
伝統的な一斉指導をやみくもに否定しただけの教育の危うさ、
新しい体制の学校運営の困難さが身にしみる。
「伝統的な教育」に対して反動的な立場に立った
進歩的な「主義」を標榜する教育関係者が年々増え続けているが、
彼らの「主義」に対して最近少し冷めた目で見てしまっている自分がいる。
結局、デューイが「経験と教育」を通して明らかにしたことは、
教育問題の争点の「大きさ」「奥深さ」の自覚が必要である。
表層的な二項対立から脱していかなくてはいけない。
同著編集者のはしがきに、次のような記述がある。
新しいタイプの学校づくりを目指す人たちにとって、
デューイの論考は多くの示唆を与えてくれる。
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