見出し画像

「サイバーパンク エッジランナーズ」で情緒を滅茶苦茶にされた人が、感情を吐き出しただけの文章

アニメ本編の核心に触れています。ネタバレ注意。

「サイバーパンク エッジランナーズ」は、「サイバーパンク2077」というゲームを原作とした、いわゆる販促アニメだ。ゲームの宣伝を兼ねて制作されたメディアミックス作品だ。

「サイバーパンク エッジランナーズ」は、巨大企業が牛耳る近未来のSF都市を舞台に、表舞台に立つことさえ許されなかった人々が、それでも生きて、戦って、そして死ぬまでの物語だ。

そして「サイバーパンク エッジランナーズ」は、生きる理由を持たず怠惰な暮らしをしていた青年デイビッドが、一人の女性と巡り会い、恋に落ちて、彼女の幸せを願って、そして死ぬまでの物語だ。


ナイトシティは残酷で、幸福な暮らしを送っているのはほんの一握りで、死に方さえ自由に選べない。そんな世界で彼は最後に、己の死に様を掴み取った。高みを目指して、派手にくたばった。
彼は何かを変えたわけじゃない。ナイトシティに変化をもたらしてなどいない。彼はただ道を踏み外し、裏社会で生き、そして企業の制裁によって命を落とした。
もっと賢い生き方も、普通の暮らしを選ぶことだって、彼には出来たのかもしれない。でも彼は不器用で、自分の為ではなく、誰かの為に生きる生き方しか出来なかった。
それは奇しくも、息子の為に身体を張って、遂には命を落としてしまった母親のようだった。

彼はエッジランナーになってから、最初から最後までルーシーの為に生きた。出会った頃、彼女が口にした夢を実現させようとしていた。彼女自身が忘れてしまった約束を果たす為に、彼は傭兵として命を使った。
きっと二人はお互いに愛していたのだろう。そこに気持ちのすれ違いなんてものはなくて、あったとすれば、それはきっと相手を大切に想っていたからこその黙秘だった。
ルーシーを本当の月へ行かせてあげようとしていたことを、デイビッドは何度も語ろうとはしなかった。同じように、ルーシーはデイビッドを守りたいから、彼の為に一人で戦った。
けれども二人はお互いに、手を汚す己の姿を厭い、隠そうとした。きっと、怖かったのだ。お互いに相手とは不釣り合いだと考える二人は、そんな自らを曝け出すことで、相手が遠くへ離れていってしまうことが怖かったのだ。そんな自己中心的で、矮小な考えを持つ自分が余計に、相手には相応しくないとさえ思いながら、それでも好きになってしまった相手と離れたくなかったのだ。
ずっと一緒にいたはずなのに。ずっと一緒に暮らしてきたのに。二人の気持ちが通じ合ったのは、最後の瞬間だったのだろう。それが人間の愚かさであると嘲笑するかのように、ナイトシティは二人の間を引き裂いた。
それでも世界は終わるわけがなく、何事もなかったかのように日常は続いていくのだ。誰が死んでも、誰が生きても、それでも世界は続いていく。語り継ぐ者が、その名前を忘れるその日まで。


ルーシーは最後に、本物の月へと降り立った。本物の景色と、彼と共にBDで月を歩き、笑いあった記憶を重ねて、彼女は何を思ったのだろう。彼の姿を無意識に探し、そして彼がいない世界を、これからどう生きていくのだろう。
決して幸せなどではなく、多くの不条理と、多くの死と、そして悲しみが溢れた物語だった。しかし同時に、そんな物語にも確かに幸せが存在していたように思えてならないのだ。デイビッドとルーシーの物語は、ただ悲しき恋という言葉だけでは片付けられない輝きがあったように感じられるのだ。
その答えを求めて、何度も何度も、物語を繰り返し視聴した。けれども、まだその答えには行き着いていない。おそらく、そんな都合の良い答えなんてものは、最初からどこにもないのかもしれない。
ED曲「Let You Down」が、一体誰の視点で描かれているのかも。なぜ1話のサブタイトルを「Let You Down/期待を背に」と訳したのかも。その解釈は、すべて視聴者に委ねられている。
簡単には言語化できない感情の渦が、その熱量こそが、彼らの生きた証だ。そしてそんな彼らの人生は、幸せを証明する為にあったわけじゃない。ままならない人生を、それでも必死に生きた。
それはきっと、不条理な日々も、その中で得た幸福な感情も、悲しき恋も、果てに訪れた死も、何一つ欠けてはならない。すべてが集まって、はじめて「サイバーパンク エッジランナーズ」の物語として完成するのだ。

そんな不完全だらけで完成された物語を、思わず美しいと感じてしまうのは、人間が不完全な生き物だからなのかもしれない。そう、この物語は美しいのだ。
この物語は、彼らのように生きて、彼らのように死んでみたいと、一瞬でも思ってしまうほどの魅力を持っている。それが幸せではないと、楽しいだけではないとわかっていながらも、それでも彼らはこんなにも美しいのだから。
こんなにも感情を揺さぶられる物語と出会えたことを、幸福に思う。同時に、これからの人生において、彼らのことを思い返すたびに、この胸の苦しさを思い出すのだろう。
彼らが生きた証が忘れ去られることのないように。これからも彼らの物語に触れ、その死に様を見届けようと思う。

だからどうか今だけは、涙を流させてほしい。
「I Really Want to Stay at Your House」が流れる夜に、月を見上げながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?