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限界アラサー女、容姿の話をする

皆さんは、自分の容姿に自信がありますか?
自信がある、とまでは言わなくとも、少なくとも鏡を見る時に苦痛を伴わない人生を送れていますか? 

わたしはずーっとずっと、思春期の中高生になるよりももっと前、
小学校の3,4年生くらいからじわじわとわたしはブスなんだ、という思いが芽生え、気付けば人生の多くの時間を鏡を見るのは苦痛である、という状態のまま生きてきました。

わたし自身、可愛いとか綺麗とか言われる類の容姿ではないことは幼い頃から自覚はしていました。
でもだからと言ってとくべつブスであるとかそういう意識はなくて、良くも悪くも容姿のことをあまり気にしたことは無かったのです。

ところが小学校3,4年の頃、近所の1つ上のお姉さんから「それ(フリフリのワンピース)似合ってると思って着てんの?」と言われてから、今まで味わったことのない恥ずかしさや憤りやなんかもう小学生には上手く表現できないドロッとした感覚を味わったのでした。
ああ、わたしは可愛い服を着る資格がない人間なんだな、と、気付かされてしまいました。

自己嫌悪は中高生になっても無くなることはなく、鏡を見るたびに嫌な気持ちになり、写真を撮られるのも嫌いになり、学校行事で撮った写真の掲示販売なんて1枚も買わずに母親に寂しがられる日々でした。

こうしてわたしは醜い人間であると思い続け、呪いつづけ、極力鏡を見ずに、写真にもうつらずに20代後半まで過ごすこととなります。
拗らせに拗らせた自分へのバイアスは、時間では解決できなかったのです。


そんなわたしに転機が訪れたのは皮肉にも無職になりどん底まで落ちた時でした。
無職になって1年が経ったころ、ふと思い立って、「どうせ無職になったのなら無職のうちにしかできないことをしてみよう」と、髪をメンズカットにし、ブリーチで色を抜き、銀髪にしたのです。

2021年3月30日の写真

これがその時の写真です。
銀髪に紫のハイライト、後ろは刈り上げです。

本当に世界が変わったような気がしました。
これがわたしのあるべき姿なんじゃないか、本当のわたしの姿はこれなのでは?とさえ思ったのです。

思い返せばゲームのキャラメイクでは必ずと言っていいほど銀髪ショートでした。
あ、そうか、わたしはずっと銀髪ショートになりたかったんだ!!!
人生周回遅れで自分のなりたい姿に気付いた瞬間でありました。


その日は初めてうきうきした気持ちでキメ顔で自撮りをしました。(その割には目が死んでるのはシンプルにうつ病だからです)
帰って手を洗いながら、いつもなら絶対に見ない鏡を何度も何度も見ました。様々な角度から。
こんなにも嬉しい気持ちで鏡を見ることができる日が来るなんて想像もしていませんでした。

ずっとずっと自分はブスだ、醜い、鏡なんて見たくないと思いながら生きていたのに、今や「今日もイケてるな〜〜!」くらいの気持ちで鏡を見ています。
ハッピーすぎる。

鼻は低いし、肌は汚いし、薬の副作用で10キロ太ったけど、今のわたしが一番イケています。
実際は周りから見たらもっとイケている時期があったかもしれない、でもわたしにとっては今が一番イケているのです。
他人と比べて優れているとか劣っているとかが根拠じゃない、「自分が自分をどう思うか」という、本当の意味での自己肯定感を30歳を目前にようやく手にすることができました。

運命の日から1年とすこし、わたしは現在も絶賛派手髪継続中です。

2022年6月15日
「タイタニックの時のレオナルドディカプリオにしてほしい!」とオーダーしたわたし

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