ぼくとピアノ⑴

ピアノを弾くお爺ちゃんに憧れる。

といっても明日は我が身、自分が何歳まで生きるかなんて分かりはしないのだが、生きている限り僕の側にピアノがあり続けるのだろうな、と思う。

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今から13年前。

紅葉やイチョウの落ち葉が街の通りに絨毯を敷く季節、外の空気はだんだんと冷えてきて、往来する人々の白い吐息が街に溶けていく、そんな初冬のこと。

小学校に入学する前に買ってもらった黒いランドセルを背負った僕は、授業を終え、近所に住む友達と語らいながらいつもの下校ルートを通って家に帰った。

家には母がいて、台所に立って夕食の支度をしていた。

寒さが大の苦手な僕は、家に帰るとすぐにリビングの端っこに置かれたストーブに張り付いて暖をとっていた。

すると、母が口を開くや否や、唐突に突拍子もないことを口にした。

それが、今晩ピアノ教室の体験レッスンを予約した、とのことだった。

当時10歳の僕はいきなりそんなことを言われ、訳も分からず憤慨したことを覚えている。

というのも、その一年前に4歳上の兄が突然ピアノを習い始めることになり、僕もどうかと提案されたのだが、断っていた。それから何度もピアノ教室に通うことを勧められたが、全て首を横に振っていた。

頑なに拒否していた訳を今でも思い出すことができる。

当時、ピアノというと音楽室のピアノに群がる同級生の女の子たちが思い浮かんで、どうも男の自分が入る世界ではないと勝手に決め込んでいた。

そんな理由から僕はピアノを習いたくなかったのだ。

にも関わらず、母が勝手に僕の体験レッスンを申し込んでしまったのだから、驚きと戸惑いでストーブの前を微動だにせずわめいていた。

だが、「嫌なら習わなければいい」という殺し文句に何も言い返せず、結局、口を尖らせたまま車に乗って、教室に向かったという記憶が残っている。

結果的に、その体験レッスンが楽しかったのとピアノの先生が若くて綺麗な方だったのでその場でピアノを習い始めることに決めた。

あまりに不純で単純な動機だと、こうして書くのは少し恥ずかしい。

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10歳の初冬、思いがけずピアノを習い始め、次第にのめり込むようになった。

それから15歳、中学3年まで教室に通い、高校受験を機に辞めた。

一番初めに弾いた曲は「ドドドドーナツ」という右手と左手でドを交互に弾くという猿でも弾ける曲だった。

習い始めた当初楽譜も読めなかった。

だって、音楽の成績は悪い部類だったから。

右手と左手が違う動きをするなんて想像もできなかった。

ただ、ピアノが自分の日常の一部になったことがとても新鮮で、漠然と(楽しいな。)って思っていたような気がする。

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結局兄はすぐにピアノを辞めてしまったので、僕と入れ替わりみたいになってしまったのだが、

兄が習い始めた時に家にやってきた、CASIOのとても安い電子ピアノがリビングの真ん中に置かれていて、兄にあまり弾いてもらえなかったため、ホコリをかぶったお地蔵さんになっていた。

僕はその電子ピアノがとても好きだった。

その訳は、色んなジャンルの曲が内蔵されていて、数字を選んで再生ボタンを押すと、プロの演奏を聴くことができたから。

練習の合間に色んな曲を聴いてみて、(この曲いいな。)とか(どこかで聴いたことある!)とかあれこれ思いながら自分の好みの曲を探っていった。

その中で、僕はとりわけショパンの曲に強く惹かれた。

たった10歳の少年がショパンの曲に触れて何を想い、何を感じたのかは覚えていないが、言葉では言い表せない何かを確かに感じ取った。

『幻想即興曲』

この一曲が激しく心を揺さぶった。

毎日のようにYouTubeで色んな人が弾く幻想即興曲を聴いた。

まだ弾けもしないのに楽譜を買って、分からない記号や読めない音はネットで調べながらメモを書き込んで、一音一音読んでいった。

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それから5年、最後の発表会に弾いたのが、『幻想即興曲』だった。

初めて発表会に出た11歳の時、3歳とか6歳とかからピアノを始めた小さい子供や、同級生の女の子の方がはるかに上手で、悔しいような恥ずかしいような惨めな気持ちに苛まれたことを覚えている。

でも、初めて発表会に出てから4年後、自分が発表会のトリを、ずっと憧れていた曲で飾ることができて、とても嬉しかった。

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教室を辞めてから、受験勉強に専念し、晴れて高校生になった。

バンドを組んで、それも高校2年の冬で大学受験を理由に解散した。

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高校でろくに勉強しなかったため、1年間浪人して、なんとか大学に入った。

ピアノサークルに入るも、1年も経たずに辞めた。

ピアノ教室を辞めてからは徐々にピアノから遠ざかっていった。

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気が向けば弾くし、気が向かないときは弾かなかった。

数ヶ月ピアノを弾かないこともしばしばだった。

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15歳でピアノ教室を辞めてから、ピアノを弾く量は減ったものの、妙な巡り合わせが重なり、次第にピアノに対する熱が蘇ることとなった。

そして、今こうしてYouTubeをやるように至ったのだが、その軌跡はまた別の機会に書くとして、今日はこれにておしまい。

             

                     


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