気持ちが溢れる夜🌛☁

今年は今までやってきたことを全部活かして自分から発信する人になろうと思う、それが自分の思う全開だ。
忙しいことはすき
自分に撮ってやりがいを感じることで埋まってることは本当に幸せ
だが、やることに意義を見いだせないことが2つ以上あると忙しい時よりも精神的にも肉体的にも億劫で何もすすまない。

そんな億劫と思う事が自分の苦手なことであり嫌いなことだと思う。逆にいい感じに忙しい時に億劫に感じずできる動詞は好きなことだ。

しかし、考えることが億劫と感じる時と幸せだと感じる時がある。noteを書いているということは今の私にとって考え、そして打つということはそれほど億劫では無いのかもしれない。いやむしろ楽しいとまで思う。

noteに知り合ってわかったことだが頭で考えて打つことは、なにか対話をしているときの感覚と似てる。対話をしていると自分では知らなかったことを相手からたくさん貰って、話をさえぎってなるほどと叫びたくなるようなくらい満たされた感覚になる。勉強をしている時に分からない問題に出会って理解してないながらも読み進めて、わずかな言葉の綴りを頭にインプットしたあとに答えをみて、ただの言葉の綴りがひとつの答えになる。そんな喜びのような対話から得られる感覚が、今この瞬間書いている中でした。
頭の中を整理もせず、どう書くか構成もせず、ただただ思うことを殴り書いていく。そうすると、自然と頭の中で整理され芋づる式で、今書いたことの対してさらに言いたいこと、さらに付け加えたいことが、次から次へと出てきて、最終的には自分の言いたかったことが変わってホントの自分が見えてきたりする。

noteを書いている人はそんな感覚を気に入ってるのかもしれない。

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