見出し画像

2020年1月〜7月の思い出

2020年が終わった。

1年の振り返りはいつもは日記に手書きだけど、今日はこれに書いてみようかな。
自分のただの振り返りだから、長いので読まないほうがいいですよ。

<1〜3月> 新潟県・越後湯沢 神立スノーリゾートでリゾバ
<4月> 長野・蓼科 湖湖畔の小さなホテル&キャンプ場でリゾバ
<5月〜7月> 長野県・松本 弟と暮らしながらバイト
<8月〜9月> 東京・錦糸町 シェアハウスに住みながらホテルでバイト
<10月〜12月> 神奈川・鎌倉 古民家シェアハウスに住みながらバイト

1年間で新潟〜長野蓼科〜長野松本〜東京〜神奈川と5カ所で暮らした。
松本では1回引っ越しているので6回引っ越したみたい。
我ながら凄い人生だなー。

<1〜3月> 新潟県・越後湯沢 神立スノーリゾートでリゾバ

画像3


リゾバをもう最後にする気で、やったことのないスキー場で働いてみようと思って選んだ越後湯沢のの神立スノーリゾート。


これまではずっとホテル業だったし寒さが心配だったからチケット係で挑んだけど、チケット係は午前中しか仕事がなくて全然働けない!
人事の人にいうと、4日目くらいででリフト係に変えてもらえた。これがめちゃめちゃ楽しかった。

寮は20歳の女の子と2人部屋で毎日ワイン飲んだり映画見たり。

画像2

画像7

二段ベッドの間に毛布でカーペットにして、備え付けの引き出しを机にして2人のテーブルにしてたな。
私の手にかかればどんな場所も素敵な場所に変えられる。

仕事はリフト小屋でお菓子食べながら、遊びながら。

画像4

画像8


休みの日はリフト券無料だから滑りまくったり、車であちこち新潟観光したり。

画像5

画像21


湯沢駅周辺に飲みに行きまくって日本酒も好きになった。
あん肝としめ鯖にはまった。
そしてリフト係で一応動いていたからか、滑っていたかで3キロくらい痩せた。

5つくらいあるリフトで、ちょうど関西人が4人居たことで盛り上がって、Bリフトだったので「B-west」というグループを作った。ジャニーズウェストを真似して言いたかっただけだけど結構気に入ってる。
休みを合わせては十日町の雪まつりや寺泊の市場や水族館や、いろいろなところに遊びに行った。

画像9

東京から友達たちも来てくれて、酒造見学をしたりペンションに泊まったり。

画像10

画像11

もう全てが人生1楽しかった3か月。

画像1

でも最後は遅刻3回でクビっていうルールを破ってしまい、勤務予定2日前くらいに契約破棄になった。本当バカ。(リフト係は朝早くて6時や7時出勤だったんだもん・・・。)

とにかく、機会があればまた行きたいし、スキー場のリゾバは本当おすすめ!

画像22

リフト係の最後のお別れ会。
皆から本当バカだな〜と言われつつ。

<4月> 長野・蓼科 湖湖畔の小さなホテル&キャンプ場でリゾバ

画像6

とにかくスキー場が楽しかったから、スキーシーズンまで山ででも働きたいな〜と思ってなんとなく選んだ蓼科湖畔のホテル&キャンプ場。

オーナーの女性になぜか嫌われて、仕事も全然楽しくなくて、小さなホテルだから派遣で来ている若い子もいなくて、寂しくて辛くて最初は泣いた。

画像28

でも、1つの大きな家みたいな寮で、毎年働いているっていうスキーと音楽好きの子と家具作り職人のお兄さんと仲良くなって、そこから仕事以外はめちゃめちゃ楽しくなった。

画像23

今までリゾバを7回した中で1番周りに何にもない蓼科湖畔だったんだけど、そこで暮らしたことで人生観や時間の捉え方が変わった。なんかいろいろ学んだ。「何もしない」時間の素晴らしさを知ったかな。

画像12

1日に何回もインスタントではなくハンドドリップでゆっくりコーヒーを入れたり、時間があれば常に外に出て、キャンプチェアに座ってコーヒー飲んだりお喋りしたり、焚き火したり。

画像24

基本みんなでこのガレージにいた。

画像26


一緒に住んでいて毎日顔を合わせているのに毎晩夜中までひたすらだらだら喋っていたり・・・DJセットを買って自分で音楽を作って遊んでいたり、ひたすら木を削って家具を作ったり、ホームセンターで色々なものを買ってきてアクセサリー作りをしてみたり・・・

2人の時間の使い方がすごく新鮮で、素敵だと思った。これが山暮らしなんだなって・・・。

画像25


私もそれに見習って、というかすることないから同じことするしかなかっただけだけど、一緒に焚き火を眺めたり、木を削ってお皿作りを教えてもらってみたり、なんだか日々のんびり、自然の美しさを感じながら、「これが贅沢な時間なんだな〜」って幸せを感じてた。

画像13

せっかくせっかちで、「何もしない時間」が大嫌いな私が、新しい価値観を学び始めていたのに、この時期に急速に流行ったコロナ。

ホテルも休業になり、仕事がなくなって実家に帰った。本当、コロナの影響がっつり受けた。

画像27


<5月〜7月> 長野県・松本 弟と暮らしながらバイト

画像14

コロナが流行りまくっている東京に戻るわけにもいかないし、コロナでリゾバの仕事もないし、とりあえず実家に帰ってみたけど、御代田は田舎だからバイトもないし、免許ないからどこにもいけない・・・

「松本なら、ちょっと都会やからバイトありそうやし、弟の家に住ませてもらえるか聞いたらええんちゃう〜」

というお母さんの適当な?発言を私は真剣に受け止め、弟に

「家賃半分払うしご飯とか作るからちょっと住ませてくれらん?」

と、ダメ元で聞いてみたら以外にも返事は「あー、別にええで」。

ということで弟の家に居候しながら松本暮らし。
1Kの小さなアパートに兄弟で住むって、想像もつかなかった生活だったけど以外によかった。

画像15

この角が弟の部屋の中の杏スペース。
どこにいても自分の居場所は快適に作れる。


お互い特に干渉もせず好きなことをしながらも、寂しくもないし、気も使わないし。兄弟暮らしは以外にいけるということがわかった。

そのあと新しくできる松本で唯一のシェアハウスを見つけ、めちゃめちゃ広くて綺麗だったので、弟と一緒にそっちに引っ越した。今まで住んだ中で1番広くて快適な家だった。

画像16

今までで1番インテリアにこだわった。
テーマは西海岸。

画像17

快適だったな。中国からワーホリに来ている子と3人。

画像18

仕事は銀の皿で働いて、やめて、ミズノの野球ショップで働いた。野球のことなんて全然分からないので、特に何もせず毎日8時間そこに居た。

弟以外知り合いがいなくてつまらなくなって、ジモティで英語サークルと飲み会グループを作ってみようと呼びかけた。すると想像以上に人が集まり、最終的には「英語に興味がある人で集まる飲み会」みたいな感じで合体させて20人くらい集まった。やればできるんやな〜と思った。

画像19

行きつけのお店もできたし、ジモティで知り合ったり、飲み屋で知り合ったりでなんやかんや友達や知り合いがいっぱいできて、全く馴染みのない土地でも2ヶ月で飲みたい時に飲みにいける状態になれた。というか逆に予定が詰まってるレベルになってた。

でもやっぱり東京に帰りたい気持ちは収まっていなくて、コロナがちょっと減ってきて騒ぎが収まった7月後半に、周りから大反対されながら無理やり東京に引っ越した。

弟と暮らしたり、弟と弟の友達にカラオケキャバクラみたいなところに連れて行ってもらったり、自分でイベント作ってみたり、始めて1人で飲みに行ける店ができたり、自転車を買ったり、「何もしない時間」を学んだからこそ、未開拓の地でも1人で生活を切り開いていくことができたし、色々な初体験ができた2ヶ月だった。

画像20

この狭い部屋に弟と暮らしてたなんて、懐かしいな。

長くなったから続きは第2弾にしよ。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?