私の教祖(七歳)
はじめに
教祖の生涯を深く掘っていく記事とする。
今回は六歳ー七歳へ。
『私の教祖』から
教祖六歳の年に妹のくわが生まれた。この小さい妹の出来たことは静かな家庭に賑わいを加え、教祖の童心にも明るさと楽しさを加えたに相違ない。そしてこの小さい妹のお守りをすることが幼い教祖の新しい楽しみの一つとなった。
のみならず、気立てのやさしい教祖は近所の子供たちをも親切においたわりになるので、何時しかまわりに大勢の子供たちが集まるようになった。教祖はこうして集まってくる子供たちを遊ばせてやるのが楽しいのか、母から頂いたお菓子なども決して自分一人だけで召し上がらずに、一々みんなに分け与え、その子供たちの喜ぶ姿をお眺めになっていた。
『稿本天理教教祖伝』では
七歳の時には、近所の子供が泣いて駄々をこねているのを見て、自分が親から貰うた菓子を与え、その泣き止むのを見て喜ばれた。
『正文遺韻』では
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まとめ
教祖が六歳のとき、妹のくわが生まれた。この小さい妹の出来たことは、しずかな家庭に賑わいをもたらした。教祖の童心にも、明るさと楽しさを与えただろう。そしてこの小さい妹のお守りをすることが、幼い教祖の新しい楽しみの一つとなった。妹ができたことがうれしくて、こと細やかに愛情を注いだ。そして妹だけではなく、気立てのやさしい教祖は、近所の子どもたちをも親切にいたわった。すると何時しかまわりに大勢の子どもたちが集まるようになった。こうして集まってくる子どもたちを遊ばせてやるのが楽しいのだろう。母から貰ったお菓子なども、決して自分一人だけでは食べずに、いつもいちいちみんなに分け与えた。あるとき泣いて駄々をこねる子にお菓子を与えるとその子どもは泣き止んだ。そういった子どもたちの喜ぶ姿を楽しそうに眺めた。
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